• 産経新聞「直球&曲球」に掲載された会長 葛城奈海コラム

産経新聞 「直球&曲球」(平成29年度)

  • 29/ 4/ 27 「どうなるか」ではなく「どうするか」 29. 5. 5更新

  • 29/ 3/ 30 真の慰霊顕彰とは

  • 29/ 3/ 2 金正男氏暗殺を拉致問題解決の好機に

  • 29/ 2/ 3 神事に使われた日本の大麻

  • 29/ 1/ 5 新年に思う「祭りの力


  • 29/4/27 「どうなるか」ではなく「どうするか」

     村内のあちこちに、放射性廃棄物の詰まったフレコンバッグが整然と積まれていた。東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故を受け、全村避難してから6年。避難指示が解除されたばかりの福島県飯舘村を、今月4日、訪ねた。
     菅野典雄村長に初めてお会いしたのは、震災の翌月だった。「大量生産・大量消費・大量廃棄」の現代社会に疑問を抱き、「ないものねだり」から「あるもの探し」、「成長社会」から「成熟社会」へ舵を切るべきという姿勢に深く共感した。それはまさに、日本がこれから進むべき道でもあると思った。
     土地の言葉で「丁寧に」「大切に」を意味する「までい」の村づくりをしてこられただけに、原発事故でそれが粉々に打ち砕かれ、どんなに口惜しかったことだろう。
     しかし、そこで悪態をつくことも愚痴をこぼすこともなく、村長は毅然と歩み続けた。唯々諾々と国の指示に従ったわけではなく、村と村民の暮らしを守るため、「までい」に対応した。全村非難の村でも室内の線量は高くない。お年寄りが住み慣れた土地を離れるストレスは放射線のストレスに勝ると考え、特定養護老人ホームの入居者は残れるようにした。また、「菊池製作所」など屋内操業の継続を希望した9つの事業所を特例として国に認めさせ約550人の雇用を守った。従業員は避難先から村に通った。被害者意識を捨て、自分達が汗をかいてできることを実行しよう。そう村民を奮い立たせた。
     風化を恐れる被災自治体は多い。そんな中、全村非難が解除された日、「ただいま、ふるさと」と題した県内向けの新聞広告に村長名でこう記した。「飯舘村は『忘れないでください』とは言わないように決めました」。自分達だってよその災害は忘れてしまうのに、「忘れないで」はおこがましい。むしろ積極的に復興の姿を発信し、訪ねたくなる村にしてこそ、忘れられないことに繋がる。そう語る村長に、未来は自分達の手で切り開くという強い決意と信念を感じた。

     「どうなるか」ではなく「どうするか」。安全保障然り。今の日本が学ぶべきは、まさにこの気概と主体性なのではないか。

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    29/3/30 真の慰霊顕彰とは

     桜の季節を迎えた。25日、靖国神社での特攻隊全戦没者慰霊祭に参列した。
     奏上される祝詞に頭を垂れながら、「自らを弾として、同胞を守らんと」したご英霊たちは、今の日本をどう見るだろうか、との思いが去来した。物質的な繁栄にうつつを抜かし、「平和」を謳歌する日本。ひと皮めくれば、少なくとも数百名の同胞が拉致された可能性があり、国土が奪われようとし、先人達が魂を込めて紡いできた多くの伝統文化が断絶寸前にある。そんな「大事」には目をつぶり、国会は森友学園の問題に多大な時間を費やす。事の軽重が倒錯したこの有りさまを、悲憤慷慨されるように思えてならない。
     その2日前、千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地の第一空挺団で研修する機会があり、落下傘部隊の歴史を学んだ。日本陸軍初の実戦での降下は、昭和17年2月14日、インドネシアのパレンバンで行われ、約300名で約1000名のオランダ軍を撃破。戦略上の要衝である空港と製油所の占領に成功した。白昼敵地のど真ん中に降下する兵士たちは格好の的となり、陸から撃たれ放題。生還を期さないという意味で、これもまた特攻であろう。第一空挺団長の兒(こ)玉(だま)恭(やす)幸(ゆき)陸将補によると、この戦果は、各国の軍人たちの間で「ロシアやドイツが始めた空挺作戦を黄色人種が西側の国に対して成功させた」と驚きをもって高く評価されている。
     この作戦で小隊長を務めた奥本實中尉らの共著として昨年末に刊行された『空の神兵と呼ばれた男たち』は、当の日本人が知らない先人たちの偉業を伝えてくれる。勇猛果敢な戦いぶりに引き込まれるとともに、日の丸の寄せ書きに大書された文字に目が釘付けになった。「本日ノ給養ハ靖国ニ於テス 奥本」
     特攻慰霊祭では、『同期の桜』3番の歌詞を初めて知った。その最後は「春の梢に咲いて会おう」。見上げた梢で再会した英霊たちが、心からほほ笑んでくださるのは、彼らの精神を私たちが受け継ぎ、日本がまともな自立国家になったときであろう。その実現こそが、最大の「慰霊顕彰」なのではあるまいか。

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    29/3/2 金正男氏暗殺を拉致問題解決の好機に

    クアラルンプール空港での金正男氏暗殺事件を受け、駐北大使の召還、遺体の引き渡し拒否など、マレーシアの対応が鮮やかだ。平成13(2001)年、同氏を成田空港で拘束したにも関わらず、外交問題になることを恐れ、あっさり帰国させたどこかの国とは対照的である。あのときこそ、同氏をカードに拉致被害者の帰国を要求する千載一遇のチャンスであった。
    ロシア人監督による北朝鮮ドキュメンタリー映画『太陽の下で』を見た。当局によるヤラセ要求や検閲を逆手にとって平壌に暮らす一家を追う。ラストシーンが衝撃だった。「好きなことを思い浮かべて」と言われ、8歳の少女の目は空をさまよう。「じゃあ、好きな詩は?」と問われ、少女の口からほとばしり出てきたのは独裁者一族をたたえる言葉だった…。
    私にはむしろ餓死や虐殺よりも痛ましく思えた。私たちの同胞はそんな国にとらわれているのだ。自分を脅かす恐れがあれば親族であろうと殺害し、何万という国民を餓死させ、あるいは収容所送りにし、拷問、虐殺、処刑する国。 正男氏暗殺は公共の場で行われたテロ事件だ。自らは否定しているものの北朝鮮の関与は明確ではないか。国際社会は新たな制裁を科すべきだろう。これを好機として日本も主体的に体制を揺さぶり、長すぎるほど停滞している拉致被害者救出への歩みを進めようではないか。
    ここへ来て金正恩朝鮮労働党委員長の見境のなさはヒートアップしている。「次は自分か」と政権内は疑心暗鬼に陥り、緊張の糸が張り詰めているに違いない。日本や韓国からのラジオ放送などによる情報注入は、この流れに拍車をかけるであろう。現体制の崩壊は一気に現実味を増す。
    そのとき、日本はどうするのか。日本に誇りがあるのなら、自衛隊による拉致被害者救出を念頭に、具体的な情報収集と訓練をして備えるべきだ。その検討を始めるだけでも、「対話」よりはるかに強い圧力となる。家族会は期限を切った。マレーシアの毅然とした態度にならい、積年の雪辱を果たしたい。

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    29/2/1 神事に使われた日本の大麻

    19年ぶりとなる日本出身横綱の誕生に沸いた大相撲初場所。稀勢の里の横綱昇進に伴い、一門の若い力士たちが米ぬかまみれになりながら、綱の材料となる麻を揉んでいた光景は、記憶に新しい。あの麻が「大麻」だと聞けば、驚く人も多いのではなかろうか。明治以降に入ってきた丈の低い外来種と区別するため、在来の麻を「大麻」と呼ぶようになった。つまり、古来日本人の伝統文化や神事、生活を支えてきた麻は、すべからく大麻であったのだ。
    繊維や種子の有用性に着目し、人にも環境にも優しい大麻の復権を求める動きが広がっている。一方で昨年は、鳥取県の栽培業者による違法所持のほか水を差すような事件も相次いだ。暴力団の資金源と生るような行為は許されない。猛省を促すものである。
    この点を踏まえた上、疑問を呈したい。今年に入り「伊勢麻振興協会」が「国産大麻で伝統的な神事を継承する」ことを目的に申請していた栽培を、三重県が不許可にしたのだ。外国産などで賄えることや、盗難防止対策不十分が理由だという。盗難対策なら指導により改善できるし、神事用の麻を外国産で良しとするのはいかがなものか。
    注連縄、鈴緒、幣など神道ではさまざまな場面で大麻を使っているが、その多くを近年、中国などからの輸入に頼っている。国内の栽培農家は、今や三十数軒。高齢化と後継者不足で存続が危ぶまれている。そんな中、同協会から麻の本場、栃木県鹿沼市の農家に派遣された若者は、厳しい研鑽を重ね、誇りを持って伊勢での栽培に備えていた。伝統の継承など不要と言うのも同然ではないか。
    このほど、栃木県那須郡の大麻博物館から『大麻という農作物』という書籍が発行された。同書によれば大麻は「薬用型」「中間型」「繊維型」に分けられる、日本在来種は繊維型で向精神作用はほとんどなかった。「日本人の営みを支えてきた農作物」がなぜ「違法な薬物」というイメージになっていったか、全国各地でかつて、どれほど多用されていたかが説かれ、目を開かれる。多くの方に、ご一読いただきたい。
    *産経新聞【直球&曲球】より

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    29/ 1/ 5 新年に思う「祭りの力

     心躍らせる太鼓囃子(ばやし)の音に乗って、10トンを越える勇壮な山車6台が曳き回される秩父夜祭。平成28年は、大祭の12月3日当日が土曜だった上に、直前にユネスコ無形文化遺産の登録が決まり、40万人近い人出でにぎわった。
    春のお田植祭で武甲山から降り、里に五穀豊穣をもたらした龍神様が、再び武甲山へ帰る。その恵みに感謝する秩父神社の例大祭である秩父夜祭は、形を変えた新嘗祭でもあり、すべては神事を中心に進行していく。
    豪華絢爛な彫り物に彩られた山車は、私が目の当たりにした中近(なかちか)町会でいうと、1400の部材にばらして保管され、祭りごとに男達が総出で組み立てる。釘などは使わず、伝統的な木組みの工法が継承されている理由は「金属を使うと、曳き回しの揺れと重さに堪えられないから」。
    「太鼓ならし」と呼ばれるお囃子の練習にも立ち会った。大太鼓1、小太鼓6台を1時間ほど打ち鳴らし続ける。渾身の力でバチを振り下ろす大太鼓は1分ほどで、小太鼓は10分ほどで交代していくのだが、全体としてはまったく切れ目なく、ひとつの有機体として躍動し続ける。血湧き肉躍らせる響きと、叩き手の男っぷりにほれぼれしただけに、本番で彼らの姿が山車のおなかにすっぽり納まってしまったのには驚嘆した。「われわれはF1でいうならエンジン」と、そこに美学を感じているところが、また粋ではないか!
    昼間は扇、夜は提灯を振って「ホーリャイ」と掛け声をかけ、山車の顔となるのが、「囃子子(こ)」と呼ばれる4人衆だ。長年地域のために貢献したと認められた者だけが就ける、一生に一度きりの栄誉だという。
    「秩父の誇り」「毎年このために生きている」と熱っぽく夜祭を語る人々を見て思った。これで郷土への愛着や団結心が生まれないわけがない。これぞ地域共同体の力の源であろう。だからこそ、東日本大震災で家々もお社もすべてが流されてしまった地域で「何をおいてもお祭りの復活を!」という声が沸き起こったに違いない。
    新しい年が明けた。私は、祭りに日本の底力の原点を見た思いで魂が震えた。
    *産経新聞【直球&曲球】より

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