• 産経新聞「直球&曲球」に掲載された会長 葛城奈海コラム

産経新聞 「直球&曲球」(平成29年度)

  • 29/ 8/ 17 脅威を認識させないことが「真の脅威」 29. 8. 21更新

  • 29/ 7/ 22 インドネシアの「子供の森」で 29. 7. 22更新

  • 29/ 6/ 22 見直すべきは大量生産・大量消費社会

  • 29/ 5/ 25 知恵で未来の命を守る女川の決断

  • 29/ 4/ 27 「どうなるか」ではなく「どうするか」

  • 29/ 3/ 30 真の慰霊顕彰とは

  • 29/ 3/ 2 金正男氏暗殺を拉致問題解決の好機に

  • 29/ 2/ 3 神事に使われた日本の大麻

  • 29/ 1/ 5 新年に思う「祭りの力


  • 29/8/17 脅威を認識させないことが「真の脅威」

     7月30日付本紙に「避難訓練は脅威あおる?」との見出しが躍った。北朝鮮による相次ぐミサイル発射を受け、内閣府と自治体合同の住民避難訓練が各地で実施されるようになったが、これに対し「不安をあおり、軍事力強化を実現しようとしている」と市民団体が中止を申し入れたと知ってあきれた。避難訓練をすることで、好戦的な国になるかのような言いぶりではあるまいか。これは、戦後レジームにおかされた日本の悪い癖だ。東日本大震災以前の原発事故対処訓練然り。訓練をすれば、あたかも安全ではないような印象を与えるため、そんなことをしてはならないという空気があった。
     非難されるべきは、むしろ、そこにある危険に目をつむり、訓練をしないことだ。これまでも政府は、自衛隊にPAC3やSM3を配備し、一見、北のミサイルに対処している体ではあった。だが、考えてみてほしい。仮に、これで迎撃できたとしても、国土上空でのことであれば、空から破片が降ってくるのだ。そうした現実を、少なくとも、この6、7月まで、政府が国民に直視させることはなかった。
     国民参加のミサイル対処訓練開始は、それがようやく一歩改善されたことを意味する。今年3月、秋田県男鹿市で行なわれた全国初の訓練の様子を映像で見た。一度ミサイルが発射されれば着弾まで10分以内とされるにもかかわらず、避難開始までに時間がかかりすぎていたり、避難先の公民館に大きな窓があったりと、課題が多かったことも事実だ。だがそれも、訓練を行なったからこそ、具体的に見えたことだろう。
     3・11以降、防災担当官として元自衛官を採用する自治体が増えている。防災に限らず、非常時に備えた訓練を重ねてきた元自衛官を、危機管理の場で活用する意義は大きい。どれだけ訓練しようとも実際にミサイルが落下すれば、現場の混乱は避けられまい。しかし、そこに至るまで、物心両面の備えがどれだけあったかで、混乱の度合いは大きく変わる。
     いかに訓練の質を上げ、被害を局限するか。真の脅威はむしろ、脅威を認識させないことなのではあるまいか。

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    29/7/20 インドネシアの「子供の森」で

     小さな背中が、マホガニーやアカシアの若木の林に吸い込まれていったかと思うと、直径7~8cmの幹に次々に登り始めた。中には、両手両足を2本の木に渡したまま器用に登り、中空で逆上がりをしている子もいる。木々は2年前に子供達自身が苗を植えた。
     インドネシア東ジャワ州の最貧地域であるマドゥラ島を、緑の募金事業の評価委員として訪ねた。国土緑化推進機構による「緑の募金」は、国内のみならず一部海外の緑化にも活用されている。そのひとつが、同島での「子供の森計画」の支援だ。
     事業を実施する公益財団法人オイスカは、当初大規模な植林を行っていたが、遠回りでも子供達の「自然を愛する心」を育むことが真の地球緑化に繋がると考え、「子供の森」を始めた。同国では1993年から累計409校が参加、483haを緑化している。
     平坦な地形に田んぼや塩田、タバコ畑が広がるマドゥラ島は、雨季には洪水、乾季には深刻な水不足が多発。苗木の生育も厳しかった。その改善にと、2015年、「緑の募金」の支援で4つの小・中学校に雨水を溜めるタンクを設置した。 冒頭の小学校には、それ以前にトイレはなく、付近の森で用を足していた。トイレと手洗い場の併設で衛生環境も改善された。
     子供たちは木々への水やりや草刈りも行う。校庭に遊具はないが、休み時間には林で喜々として遊ぶ。まとわりつくような熱帯の日差しの下、木陰で得られる安らぎの大きさは、日本とは比べようもない。
     情報を聞きつけ参加希望校が続出、学校の変化を目の当たりにした地域住民が自主的に自分の土地にも苗木を植えるなど、緑化の波が広がっている。
    子供たちは木々があることへの弾けるような喜びに溢れていた。別れ際には次々に私たちの手を取り、額や鼻につけて敬意を表してくれる。
     この子たちの姿を日本の、特に都会の子供たちに見せたいと切実に思った。小さな手の感触は、日本人が忘れている緑、水、人、神への素朴な感謝と、物のない世界で生きぬく、逞しさを教えてくれた気がした。

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    29/6/22 見直すべきは大量生産・大量消費社会

     スーパーに並ぶ野菜はみな、姿・形が見事に揃っている。すっかり見慣れた光景だが、考えてみたら不思議な話だ。野菜だって生き物、個体差があって当前なのに、まるで工業製品のよう。ホウレンソウひとつとっても、かつては根元が赤く、味も香りも濃く、ちょっとしたエグみもあった。それが今は、どうだろう。食べやすいけれど無個性で、これではいくらポパイが食べても超人的パワーなんて出せそうにない。
    伝統野菜の種苗店を営む野口勲さんを、埼玉県飯能市に訪ねた。
    現在流通している野菜の多くは、異なる性質の種を人工的に掛け合わせたF1種(一代雑種)だ。これに対し、地域で何世代も自家採種を繰り返し、その土地の環境に適応するよう遺伝的に安定した品種を固定種という。同じ日に種をまいても、固定種は成育にばらつきがあり間引きしながら収穫するのに対し、F1はほぼ均一に収穫できる。
    昭和41(1966)年、野菜指定産地制度ができると、農家の多くは大規模に単一の作物を作るようになった。価格が暴落しても生産調整に協力すれば補助金が出る。この制度を背景に、農家が種を買う時代になり、F1が日本を席巻した。F1は、見た目重視、大量生産・大量流通に向いた品種だから、味や栄養価は二の次、三の次だ。出荷用はF1、自家用は固定種の農家も多いという。
    F1の多くが子孫を作れない「雄性不稔」である。私達は日々、子供を作れない野菜を食べている。一方で、人間の精子は劣化、濃度も激減し、デンマーク国立病院の調査によれば、成人男性の20%が不妊、40%が不妊予備軍だという。そこに相関関係がないと言い切れるだろうか。
    野口さんは言う。「家庭で固定種を栽培し、自分で種を採ってください。野菜本来の生命力と、地方の食文化と結びついた本来の味を取り戻すには、固定種を復活させるしかない」。
    目先の効率に目を奪われ、いつしか私達は重大な落し物をしてしまったのではないか。見直すべきは、大量生産・大量消費でしか成り立たない社会のあり方そのものなのではあるまいか。

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    29/5/25 知恵で未来の命を守る女川の決断

     東日本大震災で人口の1割、建物の7割を失った宮城県女川町。今月1日、約1年ぶりに訪ねた女川は、新緑の山にはたくさんの薄桃色の山桜が、駅前商店街には赤や黄のチューリップが咲き、これまでになく色彩に溢れていた。町の花は桜。震災前には、至るところに桜が咲いていたという。
    しかし、津波で町は一変。浸水域にあった桜のほとんどは根こそぎ持っていかれた。その中で、旧第二保育所の園庭にあった桜は、上部の3分の2を波に引きちぎられながら幹を残し、そこに3輪の可憐な花を咲かせた。一切の色を失った町で、3輪の桜が人々の心に希望を灯した。
    この命の灯火を消すまいと、人々は「女川桜守りの会」を結成し、手を尽したが、翌年枯死。感謝とねぎらいの気持ちを込め、お神酒をかけて伐倒された桜は、仏師の手によりお地蔵様となり、駅前商店街の一角で静かに復興を見守っている。
    会は、千年かけて十万本の桜を植樹することにした。町に彩りを取り戻すため、そして、震災を忘れないため。3月11日ごろにちょうど花を咲かせる「大漁桜」という種類の苗木を選んだ。
    中学生たちが発案した、ここより上に逃げろと呼びかける「いのちの石碑」。過去の大津波のときにも先人達は石碑を残した。が、歳月と共に風化し、場所を動かされるなどして、子孫を思う切実な願いは必ずしも届かなかった。石碑の隣に桜を植えれば、その花を愛でると同時に石碑の呼びかけを心に刻み続けることができる。
    町では、「逃げろー!」というスタートの号令とともにいっせいに高台へと駆け上がる「津波伝承復幸男レース」も毎年開催している。
    被災自治体の多くが高い防潮堤の建設を決めた中にあって、女川は防潮堤を作らないという決断を下した。海とともに歩み、海の見える町であり続けることを選んだ。
    言葉に尽せぬ悲しみを奥底に湛えながらも、物理的に津波にあらがおうとするのではなく、心と体の記憶を風化させない知恵によって未来の命を守ろうという女川の決断に、静かな覚悟と英知を感じ、私は深く頭を垂れた。

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    29/4/27 「どうなるか」ではなく「どうするか」

     村内のあちこちに、放射性廃棄物の詰まったフレコンバッグが整然と積まれていた。東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故を受け、全村避難してから6年。避難指示が解除されたばかりの福島県飯舘村を、今月4日、訪ねた。
    菅野典雄村長に初めてお会いしたのは、震災の翌月だった。「大量生産・大量消費・大量廃棄」の現代社会に疑問を抱き、「ないものねだり」から「あるもの探し」、「成長社会」から「成熟社会」へ舵を切るべきという姿勢に深く共感した。それはまさに、日本がこれから進むべき道でもあると思った。
    土地の言葉で「丁寧に」「大切に」を意味する「までい」の村づくりをしてこられただけに、原発事故でそれが粉々に打ち砕かれ、どんなに口惜しかったことだろう。
    しかし、そこで悪態をつくことも愚痴をこぼすこともなく、村長は毅然と歩み続けた。唯々諾々と国の指示に従ったわけではなく、村と村民の暮らしを守るため、「までい」に対応した。全村非難の村でも室内の線量は高くない。お年寄りが住み慣れた土地を離れるストレスは放射線のストレスに勝ると考え、特定養護老人ホームの入居者は残れるようにした。また、「菊池製作所」など屋内操業の継続を希望した9つの事業所を特例として国に認めさせ約550人の雇用を守った。従業員は避難先から村に通った。被害者意識を捨て、自分達が汗をかいてできることを実行しよう。そう村民を奮い立たせた。
    風化を恐れる被災自治体は多い。そんな中、全村非難が解除された日、「ただいま、ふるさと」と題した県内向けの新聞広告に村長名でこう記した。「飯舘村は『忘れないでください』とは言わないように決めました」。自分達だってよその災害は忘れてしまうのに、「忘れないで」はおこがましい。むしろ積極的に復興の姿を発信し、訪ねたくなる村にしてこそ、忘れられないことに繋がる。そう語る村長に、未来は自分達の手で切り開くという強い決意と信念を感じた。

    「どうなるか」ではなく「どうするか」。安全保障然り。今の日本が学ぶべきは、まさにこの気概と主体性なのではないか。

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    29/3/30 真の慰霊顕彰とは

    桜の季節を迎えた。25日、靖国神社での特攻隊全戦没者慰霊祭に参列した。
    奏上される祝詞に頭を垂れながら、「自らを弾として、同胞を守らんと」したご英霊たちは、今の日本をどう見るだろうか、との思いが去来した。物質的な繁栄にうつつを抜かし、「平和」を謳歌する日本。ひと皮めくれば、少なくとも数百名の同胞が拉致された可能性があり、国土が奪われようとし、先人達が魂を込めて紡いできた多くの伝統文化が断絶寸前にある。そんな「大事」には目をつぶり、国会は森友学園の問題に多大な時間を費やす。事の軽重が倒錯したこの有りさまを、悲憤慷慨されるように思えてならない。
    その2日前、千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地の第一空挺団で研修する機会があり、落下傘部隊の歴史を学んだ。日本陸軍初の実戦での降下は、昭和17年2月14日、インドネシアのパレンバンで行われ、約300名で約1000名のオランダ軍を撃破。戦略上の要衝である空港と製油所の占領に成功した。白昼敵地のど真ん中に降下する兵士たちは格好の的となり、陸から撃たれ放題。生還を期さないという意味で、これもまた特攻であろう。第一空挺団長の兒(こ)玉(だま)恭(やす)幸(ゆき)陸将補によると、この戦果は、各国の軍人たちの間で「ロシアやドイツが始めた空挺作戦を黄色人種が西側の国に対して成功させた」と驚きをもって高く評価されている。
    この作戦で小隊長を務めた奥本實中尉らの共著として昨年末に刊行された『空の神兵と呼ばれた男たち』は、当の日本人が知らない先人たちの偉業を伝えてくれる。勇猛果敢な戦いぶりに引き込まれるとともに、日の丸の寄せ書きに大書された文字に目が釘付けになった。「本日ノ給養ハ靖国ニ於テス 奥本」
    特攻慰霊祭では、『同期の桜』3番の歌詞を初めて知った。その最後は「春の梢に咲いて会おう」。見上げた梢で再会した英霊たちが、心からほほ笑んでくださるのは、彼らの精神を私たちが受け継ぎ、日本がまともな自立国家になったときであろう。その実現こそが、最大の「慰霊顕彰」なのではあるまいか。

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    29/3/2 金正男氏暗殺を拉致問題解決の好機に

    クアラルンプール空港での金正男氏暗殺事件を受け、駐北大使の召還、遺体の引き渡し拒否など、マレーシアの対応が鮮やかだ。平成13(2001)年、同氏を成田空港で拘束したにも関わらず、外交問題になることを恐れ、あっさり帰国させたどこかの国とは対照的である。あのときこそ、同氏をカードに拉致被害者の帰国を要求する千載一遇のチャンスであった。
    ロシア人監督による北朝鮮ドキュメンタリー映画『太陽の下で』を見た。当局によるヤラセ要求や検閲を逆手にとって平壌に暮らす一家を追う。ラストシーンが衝撃だった。「好きなことを思い浮かべて」と言われ、8歳の少女の目は空をさまよう。「じゃあ、好きな詩は?」と問われ、少女の口からほとばしり出てきたのは独裁者一族をたたえる言葉だった…。
    私にはむしろ餓死や虐殺よりも痛ましく思えた。私たちの同胞はそんな国にとらわれているのだ。自分を脅かす恐れがあれば親族であろうと殺害し、何万という国民を餓死させ、あるいは収容所送りにし、拷問、虐殺、処刑する国。 正男氏暗殺は公共の場で行われたテロ事件だ。自らは否定しているものの北朝鮮の関与は明確ではないか。国際社会は新たな制裁を科すべきだろう。これを好機として日本も主体的に体制を揺さぶり、長すぎるほど停滞している拉致被害者救出への歩みを進めようではないか。
    ここへ来て金正恩朝鮮労働党委員長の見境のなさはヒートアップしている。「次は自分か」と政権内は疑心暗鬼に陥り、緊張の糸が張り詰めているに違いない。日本や韓国からのラジオ放送などによる情報注入は、この流れに拍車をかけるであろう。現体制の崩壊は一気に現実味を増す。
    そのとき、日本はどうするのか。日本に誇りがあるのなら、自衛隊による拉致被害者救出を念頭に、具体的な情報収集と訓練をして備えるべきだ。その検討を始めるだけでも、「対話」よりはるかに強い圧力となる。家族会は期限を切った。マレーシアの毅然とした態度にならい、積年の雪辱を果たしたい。

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    29/2/1 神事に使われた日本の大麻

    19年ぶりとなる日本出身横綱の誕生に沸いた大相撲初場所。稀勢の里の横綱昇進に伴い、一門の若い力士たちが米ぬかまみれになりながら、綱の材料となる麻を揉んでいた光景は、記憶に新しい。あの麻が「大麻」だと聞けば、驚く人も多いのではなかろうか。明治以降に入ってきた丈の低い外来種と区別するため、在来の麻を「大麻」と呼ぶようになった。つまり、古来日本人の伝統文化や神事、生活を支えてきた麻は、すべからく大麻であったのだ。
    繊維や種子の有用性に着目し、人にも環境にも優しい大麻の復権を求める動きが広がっている。一方で昨年は、鳥取県の栽培業者による違法所持のほか水を差すような事件も相次いだ。暴力団の資金源と生るような行為は許されない。猛省を促すものである。
    この点を踏まえた上、疑問を呈したい。今年に入り「伊勢麻振興協会」が「国産大麻で伝統的な神事を継承する」ことを目的に申請していた栽培を、三重県が不許可にしたのだ。外国産などで賄えることや、盗難防止対策不十分が理由だという。盗難対策なら指導により改善できるし、神事用の麻を外国産で良しとするのはいかがなものか。
    注連縄、鈴緒、幣など神道ではさまざまな場面で大麻を使っているが、その多くを近年、中国などからの輸入に頼っている。国内の栽培農家は、今や三十数軒。高齢化と後継者不足で存続が危ぶまれている。そんな中、同協会から麻の本場、栃木県鹿沼市の農家に派遣された若者は、厳しい研鑽を重ね、誇りを持って伊勢での栽培に備えていた。伝統の継承など不要と言うのも同然ではないか。
    このほど、栃木県那須郡の大麻博物館から『大麻という農作物』という書籍が発行された。同書によれば大麻は「薬用型」「中間型」「繊維型」に分けられる、日本在来種は繊維型で向精神作用はほとんどなかった。「日本人の営みを支えてきた農作物」がなぜ「違法な薬物」というイメージになっていったか、全国各地でかつて、どれほど多用されていたかが説かれ、目を開かれる。多くの方に、ご一読いただきたい。
    *産経新聞【直球&曲球】より

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    29/ 1/ 5 新年に思う「祭りの力

     心躍らせる太鼓囃子(ばやし)の音に乗って、10トンを越える勇壮な山車6台が曳き回される秩父夜祭。平成28年は、大祭の12月3日当日が土曜だった上に、直前にユネスコ無形文化遺産の登録が決まり、40万人近い人出でにぎわった。
    春のお田植祭で武甲山から降り、里に五穀豊穣をもたらした龍神様が、再び武甲山へ帰る。その恵みに感謝する秩父神社の例大祭である秩父夜祭は、形を変えた新嘗祭でもあり、すべては神事を中心に進行していく。
    豪華絢爛な彫り物に彩られた山車は、私が目の当たりにした中近(なかちか)町会でいうと、1400の部材にばらして保管され、祭りごとに男達が総出で組み立てる。釘などは使わず、伝統的な木組みの工法が継承されている理由は「金属を使うと、曳き回しの揺れと重さに堪えられないから」。
    「太鼓ならし」と呼ばれるお囃子の練習にも立ち会った。大太鼓1、小太鼓6台を1時間ほど打ち鳴らし続ける。渾身の力でバチを振り下ろす大太鼓は1分ほどで、小太鼓は10分ほどで交代していくのだが、全体としてはまったく切れ目なく、ひとつの有機体として躍動し続ける。血湧き肉躍らせる響きと、叩き手の男っぷりにほれぼれしただけに、本番で彼らの姿が山車のおなかにすっぽり納まってしまったのには驚嘆した。「われわれはF1でいうならエンジン」と、そこに美学を感じているところが、また粋ではないか!
    昼間は扇、夜は提灯を振って「ホーリャイ」と掛け声をかけ、山車の顔となるのが、「囃子子(こ)」と呼ばれる4人衆だ。長年地域のために貢献したと認められた者だけが就ける、一生に一度きりの栄誉だという。
    「秩父の誇り」「毎年このために生きている」と熱っぽく夜祭を語る人々を見て思った。これで郷土への愛着や団結心が生まれないわけがない。これぞ地域共同体の力の源であろう。だからこそ、東日本大震災で家々もお社もすべてが流されてしまった地域で「何をおいてもお祭りの復活を!」という声が沸き起こったに違いない。
    新しい年が明けた。私は、祭りに日本の底力の原点を見た思いで魂が震えた。
    *産経新聞【直球&曲球】より

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