平成29年 活動記録

過去の活動報告 平成28年 それ以前

矢印 平成29年8月19日 「元自衛官、今ラッパ芸人による演奏と葛城奈海とのトークショー」
矢印 平成29年7月22日 「アデン湾での海賊対処の実態と今後のシーレーン防衛」
矢印 平成29年6月24日 「陸上自衛隊広報センターりっくんランド見学」
矢印 平成29年5月27日 林 直人氏「現下の国際情勢に鑑みて我が国の防衛計画の現状や如何に」
矢印 平成29年4月 1日 織田邦男氏「真の独立をするためには我々は何をすべきか」
矢印 平成29年3月 4日 矢作直樹氏「我が国のかたち」
矢印 平成29年2月25日 福本 出氏 「ポセイドンの涙〜海上自衛隊の小さな強者たち〜」
矢印 平成29年1月30日 松木國俊氏 「韓国よ、『敵』を誤るな」


■平成29年8月19日 フォーラム

 演題:「元自衛官、今ラッパ芸人による演奏と葛城奈海とのトークショー」

 「こんなフォーラムは初めてだ」 2時間のフォーラムの終了後、どこからかそんな声が聞こえました。 そのくらい2時間笑いっぱなしの会でした。
 トリトン海野さんは、とにかく人を喜ばせるのが好きで、自衛隊が大好きで、日本が大好きな方だと、熱い気持ちが伝わってきました。 フォーラムの中では、アジアの国々が日本をどう思っているかというお話もしてくださいました。
 これまで、アジアの国々から日本はよく思われていない、と思っていたのですが、そう思っているのはほんの一部の国で、ほとんどのアジア諸国からは感謝されていることを知り、そういうことこそ、もっとたくさんの日本人に知ってもらわなければいけないと思いました。 楽しく笑いながら、史実を学んだり、自衛隊の裏話を聞けたりと、大変有意義な時間でした。
 いつかぜひ「トリトン海野と行く!近代史の旅」が実現されることを望みます。

秋山仁美


<落合道夫さんの感想>
 昨日、トリトン海野氏の講演を聴いた。海野氏は50代の元自衛官の方で、自衛隊では落下傘部隊からラッパ手、市ヶ谷の広報まで広範な任務を体験した。

 非常に活発多能な人で退官後の現在は浅草で芸能活動をしている。来年にかけては別の仕事で硫黄島に渡航する予定があり、現地で鎮魂のラッパ吹奏を行う。
 講演では自衛隊での興味深い体験談の他、実際ラッパを吹いてくれた。上手だ。ラッパには楽器、曲ともに陸軍式、海軍式がある。航空自衛隊は陸軍式だという。高齢の軍隊経験者はラッパを聞くと深い感慨があるだろう。軍隊生活では起床から就寝まで皆ラッパだったからだ。
 市ヶ谷の広報担当時代には東京裁判の説明もしたが、当然愛国的で東京裁判の正当性を否定した。田母神さんには褒められたが沖縄の反日派から苦情が出た。すると防衛省内局は野党を恐れて、説明を止めさせたという。
 しかし軍隊には愛国主義の価値観と思想が必要だ。軍隊は兵器の管理人ではないからだ。
 それどころか思想は最強の国防の武器なのだ。だからあらゆる軍隊は自国の歴史を正当化する。
 しかし自衛隊にはそれがない。これではいざという時に組織はバラバラになってしまう。正しい歴史観が必要だ。
? 1948年の米ソによる東京裁判は日本の戦争を侵略と断罪したが、その3年後の1951年にはマッカーサーが米国議会で日本の戦争は自衛戦争だったと歴史観を改めている。歴史見直しの第一号である。
 これは東京裁判の否定である。大東亜戦争を自衛戦争とした日本の歴史観が正しいのだ。
 NHKはまだ東京裁判史観にしがみついているが、滑稽であり時代遅れであり有害だ。これはNHKが独立前の占領軍放送のままであるからだ。
 そこでNHKは解体し、国営放送を開始することが必要である。

以上


■平成29年7月24日 フォーラム

 演題:「アデン湾での海賊対処の実態と今後のシーレーン防衛」
  

 今回は、自衛隊に守られる側、守る側として、民間船側の荒平一也氏、海上自衛隊元1等海佐の清水雅彦氏の御二方に御話を伺った。
 舞台はソマリア沖のアデン湾、海賊対処の任務である。
 湾と言っても、その大きさは日本がすっぽりと収まるほど。そのうちの東西約900kmの区間での護衛任務である。年間約2万隻の船舶が航行し、そのうちの約1割が日本の関係船だと言う。
 当時は海賊船が増加傾向にあり、船員が「その海域行くくらいならこの会社辞める」というほどの場所だったそうである。

 荒平氏の御話で印象に残っているのは、実際に海賊に襲われ耐えている時に、「もう体当たりでもするしかない」という覚悟を決め、そのような態度を示したら、海賊が逃げて行ったというくだりであった。抑止力と言うことについて、そのような毅然とした態度を示すことはやはり重要なのだという示唆を与えてくれた。
清水氏の御話も、P−3C哨戒機による任務での実際の現場のことが良く分かる御話であった。
結論から言うと、「任期中は、護衛対象や、警戒監視飛行海域の船舶に、海賊には指一本触れさせなかった」ことが成果だということであった。指を触れさせてからでは遅いのである。
他にも、滞在したジブチ共和国のことや、現地の方との交流も御話し頂いた。
また、「飛鳥Uの乗客が即席で拵えた『自衛隊ありがとう』という垂れ幕をさげてくれていた」「貨物船の船員がブリッジに整列して敬礼してくれていた」など、ハンケチ無しでは聞けない逸話もあった。
これこそが自衛隊に対する一般国民のごく自然な態度であろう。
任務を終え日本に帰国した際には、空から綺麗な新緑や富士山を見ると、日本に帰って来たな、と思ったそうだ。
さらに管制官の「日本語で申し上げます。おかえりなさい。」との言葉に、隊員達は号泣したそうである。

 御二方の御話の後は葛城会長を交えた鼎談が行われた。
清水氏はその時に荒平氏の話を聞いて初めて知ったこともあった様で、情報交換の為にも民間と自衛隊の交流の場を増やしたいと提案して居られた。大いに期待したい。

 最後になるが、遠い異国の地で、自国の軍隊に守ってもらえる、守ってくれる存在がいるというのはどれほど安心なことか―。ということに思いを致した講演であった。

匿名希望




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■平成29年6月24日 イベント

6月24日(土)に行いました陸上自衛隊広報センターりっくんランド見学

おはようございます。
昨日は大変お世話になり有難うございました。
良い企画で大変満足して帰路につきました。楽しい一日でした。

早速、山口さまからお礼状も関係者に送信されており、流石、組織運営が行き届いていると感じた次第です。本当に有難うございました。。

今回、ご案内戴いた行事の中に、陸軍予科士官学校(振武臺)のツアーという文字が眼に留まり、是非、参加したい衝動に駆られました。(^o^)
何故なら、その昔、亡き父が学んだ学校であり、一目見てみようと、申し込みさせて頂きました。

父は陸軍士官学校54期生、当時の予科士官学校は、今の防衛省のある市ヶ谷台にありました。
戦争が次第に激しくなり、生徒の募集人員も増え、それに対応する為、57期生からは振武臺に移動したようです。
ブルーリボンの荒木和博さんのお父君は57期生であり振武臺組です。荒木さんの話だと57期生は校舎の建築作業まで手伝だったそうです。(まだ完成していなかった?)

父は振武臺では学んでおらず直接の関係はないのですが、当時のエリート教育の一端を垣間見ることが出来、有意義な一日となりました。
軍人教育の実態について勉強をさせて頂き、本当に有難うございました。

戦時中、短い期間に徹底した軍人としての素養を身に付け、雄々しく戦地に赴いた若者が大勢いたことを、正しく後世に伝えなくてはと感じました。

悲しい話しですが、この振武臺で学んだ57期生、58期生の青年将校の半数以上が散華されたと聞いています。
文字通り、国と家族を護る為、最前線の戦場で倒れた将兵のお蔭で今の平和があることを、自分達は決して忘れてはなりません。また、靖國の英霊を悲しむ国にしてはなりません。

蛇足ですが、当時の陸軍士官学校のシステムについて一言加えたいと思います。

士官学校に進学するには何通りかの方法がありました。
陸軍幼年学校、中学からだけでなく最後の方は実務経験を積んだ下士官まで門戸が拡げられていたようです。
父は中学校4年修了時点で陸軍士官学校を受験し、合格しました。(飛び級?)
当時の制度としては、必ず予科士官学校に入校し1年間で卒業し、戦場体験(約1年の戦地で勤務)。
その後、陸軍士官学校本科(座間)に入校し、本科卒業後に見習い士官経験を経て少尉に任官したと
あります。

当時は20歳で少尉に任官ですから、戦時下と雖も、今から考えれば若い将校です。(笑)
兵隊検査で召集された人たちと同い年です。(今の防衛大学は22歳で任官です。(笑))

予科士官学校卒業後の1年の現場実習の間に、階級は上等兵から始まり、軍曹までの昇進する制度があったようです。(階級に応じた任務を経験させる制度?)

現代と比較するのは無理がありますが、展示されていた、当時の士官学校の生徒の文章、手紙、筆跡からその当時の教育の凄さや、国防に対する生徒たちの心意気を感じずにはおれませんでした。

また、機会があればこのようなイベントに参加したいと考えています。
今後とも宜しくお願い致します。
                                        奥本康大 拝


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■平成29年5月27日 フォーラム

講師:林 直人氏
日本生命顧問1948年北九州生まれ、71年・防衛大学(土木工学専攻)卒業、陸上自衛隊入隊。90年・米国陸軍戦略大学留学、95年・陸上幕僚監部防衛部運用課長、99年・統合幕僚会議事務局第1幕僚室長、2001年・統合幕僚会議事務局第3幕僚室長、2002年・第3師団長、2004年・陸上幕僚副長、2005年・西部方面総監、2007年に退官し現職。。(Japan Business Press より)

演題「現下の国際情勢に鑑みて我が国の防衛計画の現状や如何に」


講演を聞き
自分の国は自分たち自身で守る―。
林直人元陸将の御講演は、そういう当たり前のことを再認識させられる御話であった。
日本を取り囲む国際情勢は、もはや「今日も平和だったから明日も明後日もその先もきっと平和」とは言っていられない様である。
中国は力の空白ができるとすぐに侵略する。中国の2050年の国家戦略地図によると、日本・オーストラリア・ニュージーランドは中国の領域になっているという。恐ろしい話だ。
ロシアは力の信奉者で、約束をいかに破るかを考えながら握手を交わす。 北朝鮮はいつミサイルを撃ち込んでくるかいよいよ分からない。
「核実験はいつでもできるぞ」という強気の姿勢。
韓国は新北派の大統領が誕生し、そもそも国際常識が通じない。
そして同盟国という名の日本の持ち主、アメリカ―。
日本はこれらの国際法を守らない国々と対峙していかねばならず、その為にも防衛費の増額が急務と言うことであった。
各国の防衛費を見れば、中国は言わずもがなで、韓国ですら防衛費を増額しており、ロシアはGDPは世界で12位なのに対し防衛費は4位。対GDP比は5.4%という。
各国が自国の防衛、安全保障をいかに重要視しているかが分かる数字であった。
日本も三沢基地で英国空軍と画期的な共同訓練を実施し抑止力を働かせたりと、予算が無い中で智恵を出しているとのこと。
だが、「予算が無い中で」等と言わず、防衛費をGDP2%に倍増させ、自主防衛努力をし、アメリカに頼り切りな状況からいい加減脱してはどうか。 くしくも現アメリカ大統領は日本にそれを望んでいる。
ところが各国の人に対し実施した「国のために武器を取って戦うか」というアンケートに対し「戦う」と答えた日本の若者は最下位。 自衛隊だけではなく、国民の側の意識も変えて行かねばならない。
まずそれをやってこそフツーの自主独立した国と言えるのではないかと思った。

匿名希望

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■平成29年4月 1日 フォーラム

講師:織田邦男氏
元・空将1974年、防衛大学校卒業、航空自衛隊入隊、F4戦闘機パイロットなどを経て83年、米国の空軍大学へ留学。90年、第301飛行隊長、92年米スタンフォード大学客員研究員、99年第6航空団司令などを経て、2005年空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)、2009年に航空自衛隊退職。(Japan Business Press より)

演題「真の独立をするためには我々は何をすべきか」


講演を聞き
本日、織田さんのお話を拝聴し、
いかに私たち日本人が平和ボケし、危機から目を背けているかを
改めて思い知らされました。
中国はジワジワと日本を侵略しようとしているのに、それを知っていて、それが危機だと気づいていないのか、はたまた危機だとわかっていて見ないようにしているのか…
「日本は外界に背を向け、内輪の議論に終始する」
まさにその通りだと思います。
国民がこんなふうだから、憲法も変わらず、自衛隊も動けない。
何のために自衛隊が存在しているのかと、今まで見て見ぬ振りをしてきた自分にも腹がたちました。
改めて、正しい情報を見極める力と、真実に目を背けない強さを身につけようと、決心するきっかけを頂きました。

秋山仁美

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■平成29年3月 4日 フォーラム

講師:矢作直樹氏
日本の医師、医学者、東京大学名誉教授。 神奈川生まれ。1981年金沢大学医学部を卒業後、麻酔科、救急・集中治療、内科の臨床医として勤務しながら、医療機器の開発に携わる。(WikiPediaより)
天皇」 矢作氏の多くの著書の中から今回の講演で触れられた天皇陛下について書かれた本。

演題「我が国のかたち」


講演を聞き
矢作先生のお話を拝聴して感じたことは、先人たちが命がけでつくり上げてきた「わが国のかたち」を、現在の私たちが受け継ぐことができているだろうかということです。
先生が危惧されていたように、現在の日本は危機的な状況であり、国のかたちが歪められいます。
本来、日本人は自然万物のあらゆるものに神が宿ると信じ、目に見えないものの存在を魂で感じて手を合わせ感謝してきました。
しかし、今、多くの日本人が感じる力が弱くなったように思えます。
それは、「古事記」などの日本神話や「天皇と皇室」など日本人の起源や正しい国の歴史を家庭や学校教育で教えられなくなったからです。
日本は、古来より「祈りの国」「天皇のしらす国」です。たとえ、天皇陛下の御姿が見えなくとも、陛下が私たち日本国民の為に祈りを捧げられている御姿を想像することはできます。
一人一人の心の中に、天皇陛下がいらっしゃること・・
これこそが、「わが国のかたち」ではないでしょうか。
先生がおっしゃる「今、ここ」とは、今現在を生きている私たちだけではなく、遠い祖先から続く命の流れが今も同じ空間の中で生きているということだと思います。

私たち個人の命には限りがあります。
しかし、「人は死なない」

なぜなら、国の命が永遠に続く限り、この大いなる命の流れの中で受け継がれたきた日本民族の魂は生き続けることができるからです。

これからの「わが国のかたち」をつくるのは私たちです。
100年後、200年後、それ以上の未来に生きる我々の子孫が、日本に生まれたこと、そして、日本人であることに誇りが持てるように、これから自分に与えられた役目を果たしていきたいと思います。
中村路佳

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■平成29年2月25日 フォーラム

講師:元海将 福本 出氏
防衛大学校卒(28期)昭和59年海上自衛隊入隊。掃海艇艇長、掃海隊司令、トルコ防衛駐在官、呉地方総監部幕僚長等を掃海隊群司令、海上自衛隊幹部学校長を歴任。現在、石川製作所 取締役 東京研究所所長、国家安全保障局顧問。

演題「ポセイドンの涙〜海上自衛隊の小さな強者たち〜」
 

講演を聞き
今回初めて東日本大震災でのご遺体捜索の裏側を知りました。
高校や大学を出たばかりの若い隊員を励ます先輩自衛官の話がとても印象的です。また気仙沼大島の小中学生の卒業式を艦内で行った話もとても感動しました。自衛官のみなさんの被災者への心遣いと、危険を顧みない勇気ある行動には本当に頭が下がります。
これからどんな災害がまた起こるかわかりませんが、いかに自分が被災者にならないかも大切だと思いました。被災者が少なければ自衛隊のご負担も少しは減らすことができると思いました。災害に備えた訓練や体力作りが必要だと感じました。
今回自衛官のみなさんの日々の訓練のおかげで多くの命が助かり、多くの人が勇気をもらっていることを知りました。いつも本当に有り難うございます。
色希

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■平成29年1月30日 フォーラム

講師:松木國俊氏
日本の実業家、朝鮮問題研究家。朝鮮近現代史研究所所長。「調布史の会」世話人、日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長を務める。(WikiPediaより)
 今回の演題と同名の「韓国よ、「敵」を誤るな!」を昨年6月に出版。

演題「韓国よ、『敵』を誤るな」


講演を聞き
韓国を突き放すことは、朝鮮半島の赤化を助長してしまい、 国防的に不利だという意見を耳にします。
しかし手足を縛られた自衛隊では、相手に手の内を見透かされて 朝鮮半島を緩衝地帯としたくても思うように行かないのが 現実ではないでしょうか。
松木先生の話を伺い改めてそう感じました。 世界が新保守の時代に動く今、日本人は戦後70余年の眠りから 目覚めるときが来たのだと思います。
-- 網谷 郁子拝

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