令和3年度 活動予定・記録

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25

樋口隆一氏

 
10
23
安達孝昭氏  
11
27
井上和彦氏  
12
12
將司覚氏
 
葛城奈海 著書 大賞受賞記念祝賀会  
   
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令和3年12月18日フォーラム 將司覚氏

 

当会スタッフフォーラムリポート

今回は元 海自幹部学校 総括主任研究開発官の將司 覚(ショウジ サトル)氏をお迎えし、「国境離島で頑張る防人たち 対馬、沖の鳥島、硫黄島、南鳥島の現状」という演題でご講話いただきました。將司講師はP3C機長としても有名な方です。長身で顔立ちがプロレスラーの猪木に似ており精悍な軍人を彷彿させ、同時にラガーだったこともあり逞しさが倍増されて伝わってくる印象です。因みに氏は防大1年生からラグビー部レギュラーで、1年先輩に河野克俊統幕長、3年後輩に中谷元衆議院議員(現 内閣総理大臣補佐官)がおられたそうです。講演は自衛官としてご自分の経歴紹介と今回のテーマである離島防衛の2つに分けてお話しされました。なお、弊会の葛城奈海会長が2001年に下総航空隊の訓練生を取材した折、氏はそこの教官をされていてそのご縁ということです。

 將司氏はカンボジアPKO派遣の撤収にも参加されたほか、国内は各部隊実務および教育関係部署に勤務されています。氏のモットーは“明るく楽しく”そのもので、どこでもスポーツ大会を催し、隊員間または地域住民との交流を図ったそうです。アメリカ兵とのラグビー交流も行ったそうです。《將司講師ならではのグッドジョブです。》將司氏は自らを『Party Animal』と称し、スクリーンで投影された数々の写真からその実践ぶりは十分に伝わってきます。

 氏のお話のなかで印象的だったのは、職種がアメリカ軍とパイプ役的なことがあり、2回ほど米軍から表彰を受けたとのことです。《お人柄の良さもあり、国益に貢献です。》またPKO勤務のご経験から、国連の現場では利権に群がる人々も多く、各国の援助が正当に施されていない事も多いという現実に出会ったそうです。さらにODA援助について、日本は「学校」を建てるがその後のフォローは関与しないという単発援助だが、中国は学校を建てた後に中国人の教員を送り込んでくるとのことです。当然思想教育を行うでしょうから心配だと話されていました。《確かにアジアの子供たちに反日教育が広がるのが心配です。それにしても国のODA援助は戦略的に運営されなくては税金を使う意味がありません。ODAがその国の住民の反発をかっているというニュースにも接します。外務省は当該国の国民とわが国の国(民)益にプラスになる使い方を真剣に模索してほしいものです。》

 次のテーマは「自衛隊による離島防衛」です。日本の島は6852島だそうです。国土面積は約38万平方キロメートルで世界61番目の広さですが、離島に囲まれた海域をみると約468平方キロメートルで世界6番目の広さを誇っているそうです。自衛隊の駐屯地等が存在する有人国境離島地域は13地域・18島に及びます。まさに“現代の防人”です。今回は@対馬、種子島に近いA馬毛島(マゲシマ)、最南端のB沖の鳥島(標高16センチと6センチの2島…小人も住めそうもありません)、小笠原列島の父島とC南鳥島、そしてD硫黄島(イオウトウ)についてお話しいただきました。

 対馬については古くから日本防衛の最前衛の役割を担ってきたところで、現代は防衛施設の隣接地まで韓国企業に買収されている現状を報告いただきました。馬毛島(種子島に近い)は中国のいう第一列島線の付け根に当たるところで軍事上重要拠点とのことです。沖ノ鳥島は東京から1740qの日本最南端の島で、周囲は海底資源が豊富で、1931年に東京都小笠原支庁に編入されたそうです。小笠原列島の南鳥島は東京から1900kmで1辺が2qのほぼ正三角形の小島で1300mの滑走路(この距離だと燃料満タン積めない)があるそうです。宝の島と言われており、海底には複数のレアアースが数百年分眠っているとのことです。硫黄島については栗林中将の話と1994年2月に天皇皇后両陛下が慰霊されたお話をされました。不思議なことに両陛下の慰霊の後に亡霊が出なくなったそうです。《天皇陛下の慰霊によって土地が清められ、御霊に安らぎをもたらしたのでしょう。しかし、現実問題として遺骨収集はそう進んでいるわけではありません。国家は現在の国民だけのものではありません。ましてや命を捧げた英霊に誠を尽くすのは国民として当然ではないでしょうか。》

 將司講師はパイロットとしての現場感覚が鋭い方なので、恰も現場をP3Cに乗って巡っているような感覚になりました。改めて日本海域の地図を見るとその広大さに驚きます。国防を考える上で極めて大切な国境離島問題を学ばせていただきました。ありがとうございました。

●「葛城会長のアパ日本再興大賞受賞祝賀会」概要リポート

・2021年12月18日(土)のフォーラム終了後ホテルグランドアーク半蔵門 3F 光の間にて、祝賀会の横断幕ビラ(約4m幅)を掲げ9テーブル(横3×縦3、6人掛け、一部7人掛け)を配置し祝賀会を挙行しました。

・18:00に全員が着席され、司会を担当する青野理事が開会の辞を述べ、続いて渡邉理事長が御来賓の方々及びご参加の皆様が多くの方が快く祝賀会に集まってくれた謝意を表して、祝賀会がスタートしました。

・来賓祝辞は加瀬英明氏(アパ大賞の審査員長)と佐波優子氏(アパ大賞への推薦人)のお二人。

加瀬氏は「葛城さんは日本文化への造詣も深く、実践も含めてその活躍ぶりはまさに“日本再興の女神”私は今年の大賞は葛城さんしかいないと決めていました!」と絶賛、会場が沸きました。佐波氏は「予備自衛官として葛城氏と一緒に訓練を受けたとき、葛城会長の銃の構え方や所作がすぐにサマになるのにビックリ。そして尖閣諸島訪問時に葛城会長は夜中一睡もしないで椅子に座り海を凝視、島はもちろん漁師さんたちにとって大切な海も守るという迫力を感じました。」とエピソードを語り盛り上げてくれました。

・続いて花束贈呈。

出席者のうちで最年少の平岡花梨さん(18才)を弊会工藤事務局長がエスコートする形で大きな花束が渡されました。工藤事務局長からは目録も渡されました。(後日談:目録には「ただいま準備中」と書かれていたそうです)

・会長から皆様への謝辞の後にスピーチがありました。骨子は次の通り。

日本を取り戻すために尖閣、拉致、捕鯨、大麻等の取材活動を深めていくと、必ず厚い壁にぶち当たる。そして根っこは同じ、意識もそうだが法律でも自分たちを身動きできないように縛っていることに気づく。70数年たっても主権は取り戻せていないと実感する。 想いを深くしたのはペリリュー島に取材で行った時だそうです。海上から見えるのは本当に小さな島、ここで中川大佐は島民の応援を断り、総員10500人の兵隊が一日でも長く戦うことを決意、火力・兵力に勝るアメリカ軍は( Three days、maybe two)で陥落させると言ったが、日本軍はこの小さな島で71日間も守り抜いた事に想いを巡らせた時に確信したと話されました。「戦後の日本を守ったのは《日本国憲法》ではない。保守系の人が言う《日米安保》も違う。故郷・家族そして国を愛して命を捧げた英霊たちが護っていたのだ」と。最後に神武天皇の詔である『八紘為宇(ハッコウイウ)』の精神を実践することが平和に繋がると信じています。と締めました。素晴らしいスピーチに会場が一つになり共感の拍手が長く続きました。

・乾杯は河野克俊前統幕長。

 祝辞の後に2018年10月の韓国済州島で行われた国際観艦式の際のエピソードを話してくれました。例の「海上自衛隊護衛艦に旭日旗を掲げない要求」です。この時政府から旭日旗の説明原稿を見せられ愕然としたとのことです。そこには「大漁や運動会を祝う云々〜」とあったそうです。これに対し「旭日旗は海上自衛隊の誇りです。断固参加を拒否します」と答えたとのことです。《本当に日本のエリートたち(政府・高級官僚)はどうなっているのでしょうか?》河野氏の乾杯で会場が笑みで包まれ宴が始まりました。

 セレモニーとしての格調は保ちつつ、各来賓からは葛城会長との接点を披露する愛情あふれるスピーチをいただきました。祝宴では会員の麓 香(フモト カオリ)さんのアカペラのタンゴ歌唱もあり、参加者も大満足の思い出に残る祝賀会になりました。


 

令和3年11月27日フォーラム 井上和彦氏

黒澤光治さん 理恵さん感想文

この度は夫婦で参加いたしました。

私たちは日本の歴史について無知であり誤った認識もしておりましたが、
井上和彦さんの著書やメディアで発信されている内容を拝読、拝聴し
これまでの認識が大転換いたしました。

それ以来、井上さんをはじめ様々な専門家の発信を傾聴するようになり
今日では日本人として生まれて来たことに誇りを感じています。

そんな中この度の講演を参加させていただい事で日本海軍が遠くマルタ島で
第一次世界大戦において如何に敬服されてきたことを知り、日本に対する思いが
更に拡大、深化しました。

特に、魚雷の攻撃を顧みないで救助活動したり犬までも救助する日本軍の活躍と
その勇敢さに感銘を受け感動を覚えました。

 私たちは自身の知り得た事を自身に留めておくだけではなく、身近にいる方々
(老若男女、国籍問わず)に稚拙ながらも伝えています。
そんな中で、実際にお伝えした方々が驚かれたり涙をされたりする姿を見ると
ささやかながらも社会に貢献したように思います。

今後とも時間の許す限りセミナーに参加して日本について知識を深め私たちにも
できる範囲で細やかながらですが社会に貢献したいです。 

当会スタッフフォーラムリポート

 今回はジャーナリストの井上和彦氏(58才)をお迎えし、「日英同盟に学ぶ安全保障」という演題でご講話いただきました。井上講師のご専門は軍事・安全保障・外交問題・近現代史と多岐にわたります。各種バラエティー番組やニュース番組のコメンテーターとしてもご活躍で、「軍事漫談家」の異名を持ちます。

井上講師は冒頭「靖国神社の第2鳥居の手前に2つの大灯篭があり、台座が8角形になっていて各面にレリーフ施されているのを知っていますか?」という投げかけで講演が始まりました。日清戦争から満州事変までの代表的な戦闘場面を、正殿に向かって左側の灯篭が陸軍関係レリーフ、右側の灯篭には海軍関係レリーフとのことです。海軍関係では「日露戦争 日本海海戦 戦艦三笠艦橋の東郷平八郎元帥」レリーフの隣に今回のテーマになる「第一次世界大戦地中海遠征の特務艦隊」レリーフがあるそうです。東郷元帥は誰でも分かりますが、“地中海の特務艦隊”のレリーフは海難救助場面とは分かるものの地味でもあるし、第一次世界大戦で日本海軍が地中海で大活躍をしたことを知らない人にとっては、共感がそれほどわきません。井上講師はこのレリーフを通じて歴史をどう紐解き日英同盟にどう繋げていくのだろうかと期待が膨らみます。

因みに井上講師はお付き合いの深いC・W・二コルさん(2020年4月3日ご逝去)から生前に「第一次世界大戦の日本海軍特務艦隊の地中海での活躍を世に広めてほしい。日英の絆をもっと深めるためにも。」と託され、ご自分の研究テーマにされたと語っていました。

 第一次世界大戦は1914年から4年間続きました。ドイツ・オーストラリアを中心とする同盟国とイギリス・ロシア・フランスの三国協商の対立を背景に起こったまさに『総力戦』ともいえる人類史上初の世界大戦です。7000万人以上が参戦し、軍人900万人以上と軍人以外で700万人が死亡した戦争です。戦闘機や偵察機、潜水艦それに戦車、化学兵器(毒ガス)や機関銃などの武器が使われ、従来の戦争の形とは大きく変容しました。西洋では“Great War”と呼ぶそうです。大戦後に街にあふれた傷病者の多さと惨さは街の光景を一変したとさえ言われています。歴史を大きく見るならば、当時の五大国は英・露・仏・墺・普でイギリスが超大国、次にロシアが大国、次にフランスと続きます。プロシアは大国最下位でしたが宰相ビスマルクが出てきてから国力を伸ばし、ドイツになり覇権に挑戦するパワーバランス変革期を迎えるに至り、連合国がドイツの覇権を阻止した大戦と言えるでしょう。

日本は青島(チンタオ)攻略で参戦はしているものの印象が薄く「忘れられた戦争」と言われています。一般的には、大戦の発端になったサラエボ事件や日本の青島攻略戦 ― 飛行機による偵察で日本軍が勝利したが終戦時には権益を放棄させられドイツが占有していた南洋の島々を日本が委任統治することになる ― 程度の知識しかありません。確かに井上講師が言うように第一次世界大戦の日本の活躍は消されている感じがします。第二次世界大戦の敗戦国として悪者のレッテルを張られた日本を第一次世界大戦の活躍を知られるのがまずいのでしょうか。

 第一次世界大戦勃発後、戦火は予想外の広がりをみせ日本はイギリスやフランスから陸軍出兵の要請を受けましたが日英同盟の区域外ということで頑なに拒否していました。しかし、イギリスの同盟関係やロシア革命による情勢変化及びドイツの無制限潜水艦戦(国籍の如何を問わず無警告で撃沈)への対応も含め、1917年2月大日本帝国は連合国の輸送船を保護するため、第二特務艦隊を地中海に派遣することを決めます。司令官は佐藤皇蔵少将が任命され巡洋艦 明石を旗艦(後に「出雲」と交代)とした9隻編成で、2月28日にマルタ島(イタリア・シチリア島の南)に向け佐世保港を出港しました。4月28日にマルタ島に到着し、対潜水艦作戦任務を開始したそうです。驚くことに日本の艦隊は、水中の敵潜水艦を攻撃する爆雷投下装置なども未搭載で、マルタ島に着いてから取り付けてもらい、同盟国の英海軍からその運用を教わったそうです。ドイツはUボートを300隻つくり大西洋・地中海を含む全海域で商船5000隻以上を撃沈したと言われています。特務艦隊がマルタ島を拠点に活動した1917年5月から翌年10月までの間でも704隻がUボートによって撃沈されています。まさに、“Uボートの池” そして

”魔の海“になっていたのです。

この特務艦隊の名を世界にとどろかせることとなった出来事が起こるまでに、長くはかかりませんでした。1917年5月3日夕刻に駆逐艦「松」と「榊」は英兵輸送船「トランシルバニア号」の護衛任務を受け、アレキサンドリアに向けマルセイユ港を出港しました。この船には陸兵約3000名、看護婦66名そして船員を乗せています。だが、5月4日10時20分サボナ沖で悲劇が襲います。ドイツ軍の潜水艦「U63」が放った魚雷がこの輸送船の左舷後方に命中してしまったのです。「松」「榊」はすぐさま「トランシルバニア号」のもとに駆けつけ、救助活動を開始した。「松」が「トランシルバニア号」に横付けして乗員の救助に当たり、「榊」は敵潜水艦の警戒に当たります。この間Uボートから2度目の魚雷が発射され、輸送艦の左舷中央部に命中、沈没は免れない状況になってしまったのです。すでに800名ほどの人員を救助していた「松」は横付けから離れ、「榊」と交代、「榊」はほんの5分間で1000名もの人員を救助したのでした。「トランシルバニア号」の乗員3266人の内約3000人を救助したそうです。おまけに「松」は2匹の犬も救助したそうです。

その当時、英海軍ではUボートによって被害を受けても救助活動をしてはならないという規定があったそうです。助けに行った船がUボートの格好の餌食になるのを避けるためです。この「松・榊」の決死の救出は英海軍司令部を驚かせました。このことを知った当時海軍大臣だったウィンストン・チャーチルから祝電が届けられ、イギリス国王ジョージ5世から士官7名と下士官20名に勲章が授与され、英下院では議員一同が起立して「バンザイ三唱」、あのロンドンの国会議事堂で「バンザイ」が唱和されたのでした。

《このような感動的なことに関して私を含めほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。頭書の「第一次世界大戦 地中海遠征の特務艦隊レリーフ」のナゾがやっと解けました》 

これに類する活躍は多数に上りますが、悲報もあります。この「榊」が1917年6月6日に任務を終えてマルタへ帰還途中にUボートの魚雷攻撃を回避できず、艦長をはじめ合計59名が死亡し、重軽症19名に上るという悲劇に遭遇します。

この第二特務艦隊の仕事を総括すると、1917年5月から1918年11月の1年6ヵ月の間に、348回の護衛任務を引き受け、輸送船を中心に病院船など788隻の連合国船舶を護送。そして75万もの兵員を護衛し、敵潜水艦の攻撃を受けて海に投げ出された連合軍兵士や看護婦ら7000人を救助しました。その見事な護衛ぶりから、いつしか“地中海の守護神”と呼ばれるようになったそうです。そして忘れてはいけない事は、Uボートとロシア革命の影響で戦況が有利になったドイツ(同盟国)に対し第二特務特務艦隊の活躍は連合国兵士の士気を高め戦いの流れを変える存在だったことです。日本はこの大戦に自制的であったし全体に占める日本の関与は少なかったとはいえ、戦争当事者ほど戦争の流れを変えた日本海軍の働きの価値を認めたということだと思います。

マルタ島の墓地にマルタを拠点に地中海で活躍した日本帝国海軍軍人の立派なお墓があります。71名の戦没者が今も眠っています。2017年5月27日(日本の海軍記念日)に安倍晋三首相(当時)がこの第二特務艦隊の墓地に参拝したとのことです。   

 井上講師のお話しで日本とイギリスの関係を体感するように知ることができました。戦艦三笠はもちろん第二特務艦隊の旗艦となった戦艦出雲もイギリスで造られたのでした。当時の戦艦の8割が英国製であったことも改めて知りました。併せて井上講師の熱のこもった語らいから当時の日本帝国海軍軍人の決意・潔さ・胆力そのものが迫ってくるように感じました。

《2017年8月31日に当時イギリスのメイ首相が海上自衛隊横須賀基地で小野寺防衛相の案内で「出雲」を視察しました。初代出雲が英国製であり両国の繋がりを確認し且つアピールする狙いだったことを改めて認識しました》

 また、日本が第一次世界大戦後に国際連盟で五大国になれたのもこの大戦の活躍と日英の強固な絆がベースにあったことが鮮明にわかりました。

 井上講師のお話を通じて、2つのことが脳裏を過ります。

現代の世界情勢は多極化に入りつつあります。1国で安全保障は全うできないのだから同盟関係は重要であることは明白です。しかし同盟を強固なものにするのは、軍事力を前提とする国力そのものになります。日本の場合はスパイ防止法もなければ自衛隊を軍隊にする憲法改正(破棄も含めて)も進んでいません。さらに世界で生き抜くために不可欠の各種情報機関もなければ原子力潜水艦も無い状況です。当然同盟関係はパワーバランスの中で有効になります。まともな同盟関係を成立させるためには主権を一日も早く取り戻さなければなりません。

 

令和3年10月23日フォーラム 安達孝昭氏

中澤京子 さん感想文

「防衛構想を支える 研究開発ビジョン」を聴いて

講師の安達孝昭 氏(元 海上自衛隊技術研究本部 技術開発官)は「いずも型護衛艦」の設計に携わられ、日本人ではじめて米空母「ロナルド・レーガン」に訪艦されたと伺いました。私は1週間前に横須賀で本艦の入港を戦艦三笠より眺め、その大きさに驚嘆したばかりでしたが、このほど専門家から装備等の現状に触れる貴重な機会を得られました。

「うさでん」について
H30年度(2019年度)「防衛大綱」によると「陸・海・空」という従来の領域のみならず、「宇宙・サイバー・電磁波」といった新たな領域を含む領域で能力を有機的に融合し、日米同盟の抑止力・対処力の強化及び多角的・多層的な安全保障協力の推進が可能な性質を有し、実効的な防衛力として「多次元統合防衛力」を構築するとあり、「宇宙・サイバー・電磁波」における防衛力の持続性・強靭性の強化が謳われています。

私のようなアナログ人間にとって宇宙とは望遠鏡を覗いて星座を眺めるロマンティックな空間でしかありませんが、既に多数の衛星が放たれ、その衛星同士の攻防戦や宇宙からの他国の攻撃に備える等、講師のご解説にロマンティックな空間のイメージが突如、音を立てて崩れ去りました。
このほか、「サイバー」や「電磁波」等私たち国民の目の届かない領域についても、しっかりとした防衛の重要度は日々高まっていると認識させられました。

近年、この「うさでん」の新領域が加わったことで、さらなる予算が必要となるのは当然であるのに対して、防衛省の2022年度予算の概算要求は過去最高の5兆4000億円台となり、我が国の国内総生産(GDP)の1%を突破する可能性があるそうです。
かたや中国の防衛予算はこの30年で40倍となり、ロシアは8倍になっているそうですが、隣国の脅威が切迫しており「1%」の議論をしている場合ではないということです。

新型コロナウイルス感染症の対策で、政府が2020年度に3回編成した補正予算計約73兆円の中で、未執行の予算が約20兆円、その内の1兆円でも予算を付けて頂ければ研究が進展して国民の安全をしっかりと護ることができるし、日本の民間技術を駆使すれば、技術も飛躍的に発展する可能性が高くなるとのことでした。ここは予算をしっかりと当てて欲しいところです。

国防の「屋台骨」に当たる重要な部分ですので、今後も関心を持ち続けたいです。このようなお話を伺いまして、これまで以上に国防に関わる方々に対して、感謝の念を強く感じた次第です。

当会スタッフフォーラムリポート
今回は元 海上自衛隊技術研究本部 技術開発官 安達孝昭氏(69才)をお迎えし、「防衛構想を支える研究開発ビジョン」という演題でご講話いただきました。軍事については幅広いアプローチができ、通常は世界情勢や各国の軍事力分析や戦略、そして地政学や作戦の有効性について指揮官経験者からお話を聞く機会が多かったのですが、今回は戦争工学というのでしょうか、戦略・戦術の前提になる新技術や装備の専門家からとても貴重お話を聞くことができました。ただし、リスナーの関心ポイントにもよりますが、基本知識がない私にとってはとても難しい内容でした。

日本の防衛政策を概観しておくと、S51年(三木内閣)から防衛大綱として閣議決定され現在に至っています。当時はデタントを背景に独立国として最小限の基盤的な防衛力を保有という考え方をもとに策定されました。その後東西冷戦の終結(H元年)や国際テロ(2001年9・11テロ等)や弾道ミサイル等の脅威からその度に防衛大綱が改定されましたが、H22年(鳩山内閣)には世界のパワーバランスの変化を鑑み「基盤防衛力構想」からアジア太平洋地域を中心に安全環境改善に活動ができるように「動的防衛力」の構築に方向転換されています。その後、わが国を取り巻く安全保障環境の厳しさ、中国の台頭による米国のアジア太平洋地域でのリバランス、および東日本大震災の経験を踏まえてH25年(安倍内閣)には「国家安全保障会議」が置かれ、防衛大綱の大幅見直しがされました。つまり、陸上優勢・航空優勢の確保など事態にシームレスかつ臨機応変・機動的に対応する「統合運用」の考え方をより徹底しました。さらにH30年(安倍内閣)にはわが国を取り巻く安全保障環境の一層の厳しさや宇宙・サイバー・電磁波(「うさでん」と言うらしいです)といった新たな領域の利用拡大に対応するため、新防衛大綱を策定するに至り、現在に至っています。この流れの中で防衛装備庁においてH3年4月に従来の電子装備研究所と先進技術推進センターを統合し、「次世代装備研究所」は新設されたとのことです。

現在の安全保障環境の特徴は、経済的には国家間の相互依存関係を深めているなか、中国の国力伸長が示すようにパワーバランスの変化が加速しており、しかも複雑に絡み合いながら各国が国益を追求している点です。このような背景の中「グレーゾーン事態」とは武力攻撃に当たらない範囲で圧力をかけて現状変更に持っていく手法であり、「ハイブリッド戦」とはサイバー攻撃により基本インフラへの攻撃やメディアを使った偽情報の流布など、軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法です。つまり、現在は有事と平時の区別がほとんどなく、知らぬ間に常に何らかの攻撃に晒されている状況なのです。確かに最近の電車の運
休や停電は不自然なものを感じてしまいます。さらにテクノロジーの目覚ましい進化は戦闘領域を従来の陸・ 海・空のみならず宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域の組み合わせ(クロス・ドメイン)になっています。加えて人工知能(AI)、極超音速技術、高出力エネルギー技術などいわゆるゲーム・チェンジャーとなりうる最先端技術を活用した兵器の開発に各国が鎬を削っています。プーチン大統領も2007年に「AIを主導する者が世界を制する」と明言し国力を投入しているとのことです。

安達講師は、日本はこれらの最先端技術分野において相当高い技術を持っていると明言しました。現状、企業や研究機関が個別に開発・研究しているケースが多く、旗振りがいれば有機的に結びつき素晴らしい成果物が期待できるとお話しされました。また、日本という国柄は自分で制約をかけて身動きが取れなくしているケースもあり、それも同じことがいえるらしいです。リニアやリチウムイオン電池の小型化技術などは軍事面から極めて有用とのことです。30年前の日本のGDPは世界の17%を占めていましたが現在は6%まで低下してしまいました。現在日本にとって最先端技術を使った非対称兵器を開発するという一点突破スタイルが有効との安達講師の論に共感しました。《素人の私としては、日本全土を電磁バリアで覆い敵国からのミサイル攻撃等を無力化出来ないものか。そしてそのミサイルを発射基地または敵国主要都市に逆誘導できないものかなどと想像してしまいます。この種の研究に官民一体での取り組みは多くの国民に支持されるものと思います。》
これからは、経済安全保障という観点から日本の技術や製品が中国その他の国に流れないようにすることが重要で、日本も官民一体で取り組んでいく必要があるともお話しされました。

9月の自民党総裁選は高市早苗氏が立候補したおかげで予想以上に盛り上がりました。国家とは何か、日本の伝統文化の価値は、国際社会のなかで生き延びる政治に求められるのは何か等国家の在り方について多くの国民が気づかされたのではないでしょうか。明らかに10年前、20年前とは異なる世論がありました。逆に、次の総理大臣候補の各種アンケート調査では常に河野太郎氏がトップに立つのも現実で複雑な気持になってしまいます。確かに世代が替われば世界やアジアのパワーバランスを冷静に分析できる若い人が増えてくるでしょうが、現時点で安全保障の緊急度を理解している国民はまだ半分にはなっていないように感じます。一方、お隣の韓国では核兵器開発を決定したという新たな情報もあります。世界の新秩序形成は30年位かかると思われますが、現在のパワーバランスの急激な変化(中国の脅威)を踏まえるなら、東アジアは向こう5年、10年が一つの山場になると思います。すると、韓国の方が半島だけに日本人より冷静にパワーバランスを理解していると言えるのでしょう。日米同盟は不可欠でありクワッド等も有効ではありますが、自国の防衛を他国に委ねて生き延びた国家はないことは歴史が証明しています。国力と技術力のあるうちに官民の一体で日本国の各種安全保障態勢の基礎を固めてほしいと切に願っています。

 

令和3年9月25日フォーラム 樋口隆一氏

 ●平岡花梨 さん感想文

 今回、初めて参加させていただきました、高校生の平岡花梨と申します。 恥ずかしながら、樋口季一郎中将のことを存じ上げたのは今年になってからでした。どんな方だったのか、もっと知りたいと思っていた中、今回お話しを伺うことができるということで、楽しみにして参りました。

樋口先生のご講演を受け、考えたのは、樋口季一郎中将のご尽力がなければ、北海道はソ連領になっていたかもしれない。そしてそうであった場合、今の日本を取り巻く状況はもっと深刻であったかもしれない、ということでした。今、当たり前だと思っていること、一つ一つを守るために命をかけた先人がいらしたことを改めて認識し、言葉にならない思いでいっぱいになりました。 又、近現代史はじめ、日本の歴史をもっともっと学んでいかなければならないということを痛感致しました。  

樋口先生だからこそご存知の心温まるエピソードを伺うことができ、樋口季一郎中将のお人柄も垣間見ることが出来て、とても有意義な時間でした。 貴重な機会をありがとうございました。

 

●当会スタッフフォーラムリポート

今回は陸軍中将樋口季一郎のお孫さんに当たる樋口隆一氏(音楽学者・指揮者、明治学院大学名誉教授、75才)をお迎えし、「陸軍中将 樋口季一郎の生涯にみる国を護る心」という演題でご講話いただきました。樋口季一郎中将(淡路島生まれ、1888-1970)の代表的なご活躍を挙げるのなら 

@ハルピン特務機関長だった1938年3月以来、ナチス・ドイツの迫害から逃れ満州を経由して上海(米国の租界)に亡命を目指していたユダヤ人難民を総計約2万人の救済に尽力したこと。 

A北方司令官だった1943年には米軍大攻勢のアリューシャン列島のキスカ島から5000人の撤退計画を立案・指示したこと。(アッツ島への援軍は大本営が拒否、同年5月29日に玉砕) 

B終戦に当たってはソ連が中立条約を一方的に破棄して南樺太や千島列島の占守島に侵攻してきたときも、第五連隊司令長官として「断固反撃」を指令してスターリンの北海道・東北占領計画粉砕したこと、です。戦略家のエドワード・ルトワック氏(ユダヤ系アメリカ人)は樋口季一郎を「あの時代にユダヤ人を助けたのはすごいことだ。しかし、北海道をソ連(=スターリンの野望)から守ったことはもっとすごいことだ」と評しているそうです。誰もが認めるこの天才戦略家の弁が樋口中将の偉業の真の価値を物語っています。つまりルトワック氏の冷徹な分析では、日本が分割されなかったことの方が奇跡だと言う事です。《樋口中将の事は残念ながら日本の教科書に載っていません。私が知ったのも杉原千畝外交官を知ってからだいぶ後の事でした》

講師の樋口隆一氏は樋口中将を彷彿させる端正な顔立ちの紳士で、祖父がこんなことを言ってましたと幼少の思い出話から始められました。「初めての町に行くと必ずオペラに行くんだ。有力者に会えるだろう。町の様子がよく分かるんだ。マレーの虎と言われた山下中将(大将)もウィーン勤務していたからオペラにめっぽう強いんだ。」と。まるで対談か鼎談のごとく少人数の会話の雰囲気です。音楽家であるとともに歴史家でもあるので、自分を真ん中に置いて、樋口中将時代の日本と現代の日本の両方を眺めながらお話をしているように感じました。表情は穏やかで味のある語り口、余裕ある雰囲気を醸し出しています。《この雰囲気から樋口隆一氏が指揮する姿は、トスカニーニやムラビンスキーのように厳格に音楽を進めていくのではなく、フルトヴェングラーの豊かさにカラヤンの気品を加味したタイプなのかな、などと勝手に想像してしまいました》   

●隆一氏は24才まで祖父と同居していたとのことですが、情報将校の家庭の特徴として、祖父は明るい方ですが戦争についてはほとんど語らなかったそうです。ただ、アッツ島の絵の前で毎朝戦死者の冥福を祈っていたそうです。

季一郎氏は優秀で歩兵第一連隊(乃木大将出身の名門)に入ることができた上に、狭き門の陸軍大学に「歩一」から2名合格のうちの1人とのことです。同期が石原莞爾や阿南惟幾という錚々たる方々です。

●季一郎氏は独語、露語が得意で英語も話せたのですが国際標準語の仏語ができなかった。ハバロフスク時代(1920年)に仏語習得のために1ヶ月間バレエ・レッスンを受け、ワルツを完璧にマスターしたとの事です。効果てきめんで、以後頻繁に各国武官や有力者のパーティーに招待されるようになったとの事です。

●同じハバロフスク特務機関長時代は大家さんがユダヤ人の家に日本人3人が下宿していたそうです。ユダヤ人と直に接触することでユダヤ人の置かれている立場や状況の厳しさを深く知ったようです。またこの年(1920年)に4人の駐在武官が孤立の状態に置かれそうです。この体験から大本営の作戦によくある「切り捨て」は極力やらないとの想いが強くなった模様です。

●1925-28年にポーランド公使館付武官(少将)としてウクライナ他を視察。グルジアで玩具店のご主人(ユダヤ人)が樋口を日本人と知ると顔色を変え家に招き入れ、ユダヤ人が世界中で迫害されていて、日本の天皇こそがユダヤ人を救ってくれる救世主に違いないと涙ながらに訴え、祈りを捧げたという強烈な体験をしたそうです。

●1937年3月に参謀本部付としてベルリン出張、ナチス・ドイツ各地を視察し、大島浩・独武官の後任になるべく待機中に盧溝橋事件が勃発し本国に帰還。同年8月にハルピン特務機関長として赴任。《運命のいたずらか。ここで独武官になっていればきっとヒットラーと親しくなっているだろうから、戦後「戦犯」としてスターリンに引き渡される運命だっただろう》

●1938年3月〜 オトポール事件(満州国境のシベリア鉄道・オトポール駅=現在のザバイカリスク駅まで逃げてきたユダヤ人が足止めされていた場所)一般的には救済したユダヤ難民は2万人と言われているが、3万人程度という説もあります。1941年から資料がありません。独国と軍事同盟を結んでいたために意図的に資料を残さなかった可能性もあります。この脱出路は「ヒグチ・ルート」と呼ばれています。

・1939年10月には杉原千畝がリトアニアの領事代理となり独ソ軍事情報を参謀本部に通報する職務に従事。

・1940年7-8月 ポーランド、リトアニアのユダヤ人難民に「命のビザ」を発行。

※樋口季一郎と杉原千畝は同じインテリジェンスをしていたので、連携していたと思われます。

●1945年2月にヤルタ会談が開催されたが、その情報はスウェーデン公使館付武官 小野寺信少将が情報を入手し参謀本部に打電したが握りつぶされたというのが通説です。しかし、講師は自説と断ったうえで、1945年2月の時点で、季一郎はヤルタ密約を知っていたのではないかと述べました。林三郎参謀本部ロシア課長と樋口中将との関係や、当時阿南陸軍大臣(陸大同期)が札幌まで来ていたという状況証拠から、ヤルタ密談内容は知っていたと想像されるとの事でした。

 樋口講師は数年前に乃木神社から「祖父 樋口季一郎を語る」という演題の講演依頼があり、その後北海道で講演した際に聴衆のひとりから「アリューシャンでなくなった親父は無駄死にではなかったことが判りました」と告げられたことが、残された人生を祖父 季一郎の掘起しに取組むことが自分のミッションになったと述懐していました。この講演を通じて最も印象に残ったのは「戦前の陸軍のインテリジェンスは世界でみても一流だった」ということです。戦後GHQによって日本は情報機関を持つことが許されず、現代の日本人の多くが日本人はインテリジェンスに向かないと思い込まされている事が分かります。戦前は井戸端会議のオバサンでもロスチャイルドやロックフェラーのことを知っていたと聞いて驚いたことがありますが、その背景には日本(特に陸軍)の一流だったインテリジェンスがあり、新聞を中心とするマスコミも今よりずっとまともだったのでしょう。

焦点を樋口中将に当てるなら、淡路島の回船業の長男に生まれたことがインテリジェンスとの繋がりを連想させます。瀬戸内海は江戸時代中期以降には北前船の本拠地であり、その旦那衆は商品の仕入れ・販売の力量はもちろんですが、日本海沿岸の諸藩の高官や地の有力者とのコミュニケーションが重要になってきます。社交と教養が要求されており、茶の作法は必須だったし、浄瑠璃本も娯楽であり教養でもあったと司馬遼太郎もどこかで書いていました。彼らの最大の武器は江戸・上方及び諸藩の各種情報でした。まさにオペラは能や浄瑠璃、パーティーはお茶会や歌会に通じます。《ダンスは面食らった事と思いますが…》

  日本は先の戦争でアメリカに負けたとはいえ、国を護った多くの人々や国の明暗を握った英雄たちに支えられて現在があります。そのことを知って、英雄や英霊に誇りを持つことが私達一人ひとりの精神の自立に繋がります。樋口講師が何度か「この国は一度決まったことをなかなか変更できないからなぁ…」と話されていましたが、現在世界はさらにカオス状態を深めています。だからこそ好機ととらえ、力を結集し日本の真の自立へ力強く踏み出していきたいものです。

 

 

令和3年度葛城奈海と行く東北研修旅行(東北震災から10年)

木本あきら さん感想文

期間:令和3年8月27日〜29日(2泊3日)

行き先: 宮城県仙台市、南三陸町など

目 的: 旅行を通じて会員同士の親睦を深め、歴史建造物や史跡を訪ねて

     先人たちの郷土愛、強い武人としての行動の歴史などを学ぶ。

     防人たちが守るべき文化や共同体についての認識を深める。

     東日本大震災で壊滅的な被害を受けた大川小学校や南三陸町を

     訪問して復興状態を確認し、犠牲者たちの冥福を祈る。

行程記録

1日目(8月27日)仙台着9時38分 晴れ。暑い

 貸し切りバスに乗り込み、これからたくさんの博物館や史跡を観て、東北の旨い牡蠣やホヤを堪能するぞと気負いこむ。色とりどりの歴史に彩られた宮城県にはたくさんの博物館や記念館がある。その数79館。3日間で幾つ観ることが出来るだろうか。

 多賀城市の「東北歴史博物館」見学からスタート。旧石器時代から近現代までの東北地方の歴史を、9つの時代に分けて展示されている。歴史の好きな人は半日いても飽きないだろう。国宝「慶長派欧使節関係資料」はここにはなく、仙台市博物館に展示しているとのこと。外の出ると、東北とは思えない残暑の熱気が照りつけていた。


 理事の方から、自衛隊駐屯地訪問は武漢コロナのために訪問できなくなったとのアナウンスがあり、がっかり。感染の疑いのある部外者は来てくれるな、ということらしい。

この博物館からそれほど遠くないところにある多賀城駐屯地訪問は中止。そのかわり、国の特別史跡の「多賀城城跡」に行く。奈良時代、蝦夷(えみし)と戦い大和朝廷に従順させるために城を築き、国府・鎮守府をおいた場所だ。かの坂上田村麻呂が3万近い大軍を率いて遠征、蝦夷を征討した本拠地である。坂上田村麻呂はこの戦功により征夷大将軍となり、京都に今も残る清水寺を建てた。

 敷地はとても広くて、全部を廻れなかったが、大きな石礎が沢山残っている城跡にしばし佇んで、往時の防人たちを偲ぶことが出来た。市は、昔の城の一部を再建しようとして、大きな赤色の朱雀門を建設中。完成にはあと2年かかるという。


「陸奥国一宮鹽竈(しおがま)神社」仙台地区でもっとも古い由緒ある神社だ。現在は塩釜という名称を使う。通常は津波で破壊された低地から急な階段を上るのだが、今回はバスに乗ったまま社殿近くまで直行。境内には崩れそうな桜の古木が幾つかあり、風雪に耐えた俺を見よとばかりに枝を天に向けている。この神社だけにあると言われる塩竃桜もあり、濃いピンクの花が密集した美しい写真が添示されており、4月に咲き誇る本物を見たくなった。

 境内には、乃木希典大将の自筆「教育勅語」がそのまま印字された石碑があり、多くの人が熱心に読んでいた。


「亀喜寿司」塩竃市にある創業90年の有名な寿司屋さんで昼食。あまりの旨さに感激。昼間から一杯飲みたい気持ちをグッと抑える。東北の旨いものは、やはり魚だ。

塩竃から、東松島市、石巻市、登米市などを通過して世界3大漁場の一つの3陸海岸に入る。東日本大震災で、すべての海岸が津波で壊滅的な被害を受けた場所だ。一旦消えた町や漁村には人が戻り、再び生命の輝きを見せている。破壊された瓦礫は取り除かれて、コンクリートの新しい防潮堤が作られた。所々に緑の田圃があり、稲が元気に育っていることがわかる。10年を経て、塩水に覆われた田畑が生き返ったのだ。

 狭の新しい村には、真新しい墓石がたくさん並んでいて、胸が熱くなった。今夜の宿舎である「南三陸ホテル観洋」に到着。この辺りは志津川湾といい、全ての建物は津波で消えてしまい、多くの人が犠牲になったところだ。幸いこのホテルは高台にあるので被災が少なかったとのこと。震災当時、このホテルは陸の孤島で、海に浮かぶ遺体が沢山運ばれてきたらしい。瓦礫を片づけ、道路を開通しくれたのは自衛隊さんだった、心から感謝してます、とホテルの支配人は語る。

 244室もあるこの大きなホテルの売りは「眺望」。全ての部屋がオーシャンヴユーで、大浴場や露天風呂、サウナまで太平洋を眺めることが出来る。

一風呂浴びた後、クラブ竜宮で矢野一樹元海上自衛隊海将による約30分間の講演。大変面白くためになる防衛講話で、もう少し聞きたかった。安全保障に力を入れる安倍さんが総理のころ、ようやく「平和安全法制」が制定された。日米で台湾、南西諸島を守るという日本の決意が盛り込まれた法案。こんな重要な法案なのに出来上がって配られたのは、たった一枚の紙きれ。日本人の防衛意識はこんな程度。2013年、中国が頻繁に尖閣諸島に侵入し、「尖閣は中国の核心的な地域である」と表明してから問題が大きくなり、今に続いている。あいまいな日本国憲法は問題だが、解釈上、敵基地を攻撃できる。

ハワイ沖で日本の潜水艦が初めてハープーン発射をしたとき、私(矢野)は当該潜水艦の船務長としてミサイルの発射管制を担当していた。アメリカは退役した老朽船に標的を設置、その標的(幕的:スクリーンを張った標的)に対して訓練ミサイルを発射する訓練であった。

私は、航空機からの通報により、標的の位置を特定、ミサイル発射を進言、艦長の命により、ミサイルを発射した。その後、米軍の担当将校にミサイルの命中の確認を実施したところ、「当たった」との返事を得たが、如何にも歯切れが悪く不安が生じた。実は、標的ではなく標的を設置したスクラップ船に直接ヒット、これを撃沈したことが判明。

後日、入港後、米国担当者は、私に相当な額の弁済を求める書類を楽し気に手渡してくれた。慌てて海幕の担当に伝えると、機嫌が悪かったのか「お前が払え」の一言で切られてしまった。

結局は日本防衛庁(当時)が支払ったわけだが、米軍との演習はフランクであり、全て「お金」が必要となる。

矢野閣下の講話は明快で楽しい。尊敬出来る素晴らしい愛国者。

 武漢コロナのため、宮城県内の全てのホテルや飲食店は酒類の提供禁止令が出ているので、つまらない夕食会だろうなと思っていたら、何と何と、さすがは防人の会の理事の面々、とても楽しい夕食会となった。

別室での2次会も、笑いと愉快な会話で盛り上がった。笑うことは、自分も他人も幸せにする。全員がここに来てよかったと満足した三陸の夜だった。

2日目(8月28日)晴れ

 大川小学校へ向かう。私にとって3度目の訪問だ。かつてボランテアで福島の原発事故による除染作業をしていた時、仲間の元自衛官10名と慰霊に来たことがある。瓦礫を取り除いた直後で誰もおらず、深閑とした廃墟となった大川小学校は冷たい霊気に包まれていた。学校の正門に新しい地蔵さんが建てられ、おびただしい花が置かれていた。いくつかの風車が寂し気に地面に刺されていた。秋田からきた山田1尉が般若心経を唱え終わると、突然、風も無いのに風車がカラカラと回り驚いた。何処からか子供の澄んだ歌声が聞こえたような気がした。全員が泣いた。この体験を、拙書『国を守る覚悟』(ハート出版)の中に書きました。生き残った小学生の女の子が、懸命に犠牲者を捜索している一人の自衛官に「これ読んで」と言って一枚の手紙を差し出した。それにはたどたどしい字でこう書かれていた。

   「じえいたいさんへ。元気ですか。

    つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまい 

    ました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんば 

    ります。

    日本をたすけてください。いつもおうえんしています。

    じえいたいさんありがとう。     うみより」


これを受け取った自衛官は、読みだした途端しばし号泣した。振り返ると、その子はもういなかった。手紙は、香川県善通寺の陸上自衛隊に飾られているという。


 久しぶりに訪れた大川小学校はすっかり整備され、歩道はコンクリートで舗装されて観光地のようになっていた。破壊された小学校の側に真新しい「大川震災伝承館」という建物が建てられ、たくさんの記録やジオラマが展示されていた。皆がこの伝承館にいる間、私は一人、杉で覆われた裏山に行き、しばし眺めた。先生たちに促されて避難した子供達の集団から遅れてきた何人かの子供は、襲いかかってきた津波から逃げるために必死になってこの杉山を登ったのだ。水かさがこれ以上増えない場所に来て、子供たちは杉の木にしがみつき恐怖に耐えながら水が引くのを待ち続け、そして助かった。

 その場所は下からよく見えた。子供たちがしがみついた細い杉の幹にピンクのテープが巻かれていた。子供たちはとっさの判断で高い所に逃げ、それが明暗を分けることになったのだ。

 反対に、11人の先生たちに引率されて約200メートル先の三角地帯という高台(標高約7メートル)に逃げた子供たちは、約9メートルもの津波で大半が犠牲になった。先生たちは誰一人「逃げろ、山に登れ」と叫ばなかった。

 大川小学校の全生徒数108人中、70人が死亡。4人が行方不明。教職員11人中10人が死亡。大川小学校に隣接する釜谷集落の住人496人中193人が死亡するという大惨事となったのだ。

私たちは、慰霊碑に献花をして黙祷をおこない、天国に早々と旅立った子供たちの冥福を祈った。  

  大川小学校校歌

     風かおる 北上川の

     青い空 ふるさとの空

     桜咲く 日本の子ども

     胸を張れ 大川小学校

     みがく知恵 明るい心

     くちびるに 歌ひびかせて

     われらいま きょうの日の

     歴史を 刻む


 何とも大きく、清々しい校歌だ。この北上川を逆流してきた津波で、大半の子供たちは犠牲になった。そして悲しい歴史が人びとの記憶に残った。

南三陸復興祈念公園  

震災で有名になった庁舎は、赤く防錆塗装されてそのまま残っていた。周りは防潮堤で囲まれて海を見ることが出来ない。佐藤仁町長は我々を待っててくれ、地震と津波に襲われた記録を語ってくれた。町長自身この建物の中にいて、屋上に逃げて辛うじて助かった経験を持つ。

庁舎の高さは12メートル。気象庁は6メートルの津波が来るとの警報を流した。2名の防災担当の職員は、マイクの前に座り「高台に逃げてください」と叫び続けた。

津波の高さは、気象庁の想定をはるかに超え16メートルの巨大津波だった。54名の職員は屋上に逃げた。佐藤町長達は必死にアンテ塔にしがみついて、津波が引くのを待った。43名が死亡。内二人は最後までマイクの前で避難を促す防災担当の職員だった。

 庁舎だけでなく、南三陸町全体が壊滅的な状況で、町民のほとんどが悲劇に呆然としていた。追い打ちをかけるように冷たい雪と雨が降ってきた。自衛隊が助けてくれた。久留米の部隊が、農地を造成して仮設住宅の準備をしてくれ、熊本の部隊が風呂を準備し、電線に引っかかっている布などを取り除いてくれた。

10年が経ち、町は甦った。南三陸病院も新しくなり。人々も戻ってきた。南米チリのイースター島から友好のシンボルとして恵贈されたモアイ像は世界で唯一、イースター島以外ここにある。この像を復興のシンボルとして伝承館を建て町を発展させます

と佐藤町長は自信を持って語った。


南三陸町さんさん商店街

 津波で破壊された旧庁舎から志津川に懸けられたモダンな橋を歩いて渡ると、新しい商店街が現れる。ここは一種の道の駅で、観光客や地元の人たちが買い物に訪れる街道沿いの土産物と軽食を売る所で、結構にぎわっていた。佐藤信一常設写真館(入場料300円)にはたくさんの震災関連の写真が売られていた。不思議な事に、自衛隊のカレンダーやブルーインパルスのグッズも売られていた。ここで、名物のウニがたっぷり入った南三陸キラキラ丼の昼食をとる。


国宝瑞巌寺

仙台に戻り、日本3景の松島に向かう。緊急事態宣言が出されている割に、かなりの観光客が目に付く。港の五大堂を見学した後、国宝瑞巌寺の荘厳な美を堪能する。平安時代に建立された(828年)臨済宗の由緒ある禅寺で、政宗公が大伽藍を完成させた。10の部屋の障壁画は誠に美しく、見学者を感動させる。さすが国宝。


松島湾遊覧

穏やかな湾内を貸し切りの遊覧船で、珍しい形の島々を堪能。「松島や、ああ松島や松島や(芭蕉)」ここも10年前津波でかなりの被害を受けたが今はその面影は殆ど無い。

楽しい夕食会

ホテルメルパルクにチェックインした後、仙台市内の飲食店で楽しい夕食会。とても愉快な語らいの時をもつことができた。会員の全てが明るい愛国者。いい人達だ。アルゼンチンに長く滞在されていた麓さんからは「ちん」は男のシンボルではなく「かんぱい」という意味だとの説明があり、夕食会の終わりまで「ちん、ちん」が続いた。


3日目(8月29日)晴れ

仙台市歴史博物館(旧帝国陸軍第2師団第4歩兵連隊隊舎)

宮城県に残されている洋風木造建築は非常に珍しく、仙台の有形文化財。

明治7年(1874年)に建てられ、ここから日露戦争、満州事変、ガダルカナル戦線などに兵が送られた。旧軍歩兵部隊の内務班がそのまま残され、兵が使ったベッドや三八式歩兵銃が展示されている。昔の東北のくらしの展示も珍しく勉強になった。近くの杜の市場で買い物。

旧伊達伯爵邸鍾景閣で昼食。昭和天皇が東北地方を行幸されたおりにお泊りになられた由緒ある重厚な建物。平成9年には、現上皇陛下、上皇后様がご休息されたところ。このような高貴な所で昼食をとっていいのか、と一瞬戸惑った。食事は伯爵邸らしく豪華な料理。正面玄関に植えられている憧憬の松は見事な枝ぶりを見せ、仙台の文化財となっている。樹齢300年、樹高3メートル、横に伸びた枝の長さ16,5メートル。通称「臥龍松」。建物だけでなくこの竜の様な松を見ただけで満足。


青葉城資料館、青葉城址、瑞鳳殿

伊達政宗に関する建物や遺跡見学。東北には織田信長に匹敵するすごい武将いたもんだ。何といっても、伊達政宗の町作りは見事。碁盤の目のようにきちっとした道路を作り、鍛冶町を作り、寺町を作り、学問所を作り、国防意識をたかめ、難攻不落の青葉城を築き、能や書歌などの文化を勧めた。


 伊達政宗が関東にいたのなら、天下を取ったかもしれない麒麟児だと思う。彼から学ぶことが多いと思う。


 老生はこの場所から皆さんと分かれ、仙台や北上に眠る友人たちの墓参り行かせてもらった。

 今回は本当に為になる楽しい研修旅行だった。さすが葛城奈海、「防人と歩む会」には面白く素晴らしい人ばかりが集まっている。老生はこの旅で、いい人達と邂逅でき光栄の極みです。バスに乗り、毎日美味しいものばかりを食べていたので帰宅してショック。3キロも体重が増えていた。

 またの勉強会を楽しみにしています。

 

                木本あきら記

令和3年9月5日 東京オリンピック閉会の日


 

令和3年7月24日 矢野一樹氏

●当会スタッフフォーラムリポート
今回は元潜水艦隊司令官海将の矢野一樹氏(66才)をお迎えし、「潜水艦と日本の防衛」という演題で講話いただきました。氏は愛媛県今治出身で防大(電気工学)22期、米国防大学修士課程もご経験された日本の潜水艦運用に関する第一人者の方です。話し方は魅力的で眼光鋭く言葉に活力にあふれ直截な人柄が滲みでています。矢野講師の国防への熱い想いが参加者の心にズンズンと伝わってきます。

矢野講師は安全保障問題を中心にお話したかったようですが、フォーラム参加者が潜水艦について素人と 知って、潜水艦の仕組みから話をはじめ、軍事展開における潜水艦の有用性をお話しいただきました。講師のお話の中から印象的な点をアトランダムに挙げてみます。

〇まず、潜水艦が浮き沈みする仕組みの解説。潜水艦を輪切りにすると二重丸(◎)のようになっていて、内殻(ないこく=Inner Shell)と外殻(がいこく=Outer Shell)の間にメンタンクがあり、そこに空気で満たしたり海水を満たしたりすることで潜航と浮上が可能となる。下部には海水を入れる穴(フラッドポート)があり上部には(ベント弁)が付いていて空気の流れを抑制している。もちろん素材は超高張圧鋼が用いられているとの事。
私はタンクを積んでいるだろうとは思っていましたが、こんな構造になっていると初めて知って、目から鱗でした。途中矢野講師から「ところで皆さん、アルキメデスの原理は知ってますよね。小学校で習いましたね。」と問いかけられ、潜水艦はこの原理の応用であることを改めて認識した次第です。
※アルキメデスの原理:「流体(液体や気体)の中の物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける」

〇潜水艦は敵の位置や地形を把握するためにソナーを搭載していますが、このソナーがかなりの電力負荷がかかるとの事です。通常動力潜水艦の場合潜航中の動力は蓄電池に蓄えられた電力のみなので、いざ臨戦態勢の場合などは電力をどのような割合で使用するかが極めて重要との事でした。この点、原子力潜水艦の電力は無尽蔵なので、まったく別格の兵器体系との事でした。《通常動力潜水艦は蓄電池が要であると理解できました》

〇戦略的には同一海域には潜水艦は個艦配置とのことです。これは同士討ちを防ぐためだそうです。有事では他艦を確認などしていたら先に攻撃されてしまうとのことです。《厳しい任務であることを改めて実感》
また、非貫通潜望鏡はTVカメラと同じ機能なので、複数の画面に映し出しが可能。よって昔のように艦長1人しか確認できないいう事はなくなったとのことです。併せて指令室の配置場所も自由度が増したとの事です。

〇関門海峡には今でも先の戦争で米軍がまいた機雷が多く残っているとの事、1/3は未回収らしいです。

〇水中音速は1,500m/sec.ですが水中音波の伝わり方は複雑で必ずシャドウゾーンが存在するらしいです。このことが潜水艦の隠密性を際立たせているとのことでした。攻撃の独立性という観点からは潜水艦とジェット戦闘機が海と空の両雄とのことです。

いずれにしても、潜水艦の特性は隠密性と長期行動能力に長けており、現代のサイバー、電磁波、宇宙戦に対しても抗堪性は高いとの事です。とくに敵海軍と対峙する場合は不可欠の存在となります。
講演の終盤には、西側陣営と中国・ロシア・北朝鮮陣営の軍事バランスが拮抗している現在において、日本はアメリカに対して日本の防衛力増強を提言すべき場面ではないか。また北朝鮮が弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSB)を持つと宣言している現状を認識するならば、日本も原子力潜水艦保有の議論をするタイミングではないだろうかともおっしゃっていました。現在ネットの世界では「中国の日本恫喝ビデオ」が流され、海外で大ニュースになっています。(内容は、中国の台湾開放?に日本が軍事介入すれば、第二の無条件降伏するまで核攻撃を続けるというもの。日本のマスメディアはほとんど報道してません)日本は四方を核保有国に囲まれており、しかもその核保有国が残虐な侵略国家なのだから矢野講師の論は極めて現実的と思います。
懇親会で「潜水艦乗り」の応募が少ないことついて、「給料を3倍にすれば、優秀な人材は集まってくるサ!」と喝破していました。歯に絹を着せない率直な語り口と矢野講師の国防に対する情熱が参加者全員に伝播した充実のフォーラムでした。

 

令和3年6月26日 当会会長 葛城奈海

●参加者の感想

防人と歩む会フォーラムへの初参加の感想をとのご指名を戴きましたので、簡単に述べさせて戴きます。

フォーラムに対する感想の前に、私事で恐縮ですが、私は高校生の時に防衛大学を受験するつもりでおりました(これはマジです)。
残念ながら、受験の要件の一つに、「裸眼視力0.1以上」というものがあり、私は0.08でしたので、受験を諦めざるを得ませんでした。
知力は措くとして、体力は桁外れにありましたので、防衛大に入学できていれば、とてもいい自衛官になれたものと自負しております。
当時もし、目は悪いけど顔がいいから受験させてやろうというシステムがあれば(今も無いですか?)、全く違った人生があったのではと思っております。
その後、半世紀以上が過ぎてしまいましたが、現在は「無気力小市民的日和見主義者連合会」の副会長(会長は空席)という何とも情けない状況に甘んじています。

しかし、一方で、こんなことではいけない、何か行動しなくてはいけないのではないかという気持ちもありました。
そんな折、友人から「防人と歩む会」の集まりを教えてもらい、参加した次第です。
葛城会長の理路整然とした力強いお話を伺って、日本も危うい状況ではありますが、何とか盛り返せるかもしれないという希望を持てたような気がします。
また、事務局の方々や他の参加者の方々ともお話しする機会があり、そういった希望を裏打ちできたことを大変嬉しく思います。
若い世代の方の参加が増え、本会が益々隆盛になることを心から願う次第です。

私自身はどうなんだということになりますが、体力・知力・気力・財力の全ての面で、上述の「連合会」から脱退することは難しく、皆様のご活躍を草葉の陰からお祈りするに止まることになりそうです。
何かの折に蘇ることがありましたら、また例会に参加させて戴いて、会場の隅っこで黙々と飲ませて戴くことをお許し戴ければ幸いに存じます。

末筆ながら、有意義な時間を過ごさせて戴いたことに心から御礼申し上げます。

瀧本敬士

●当会スタッフフォーラムリポート

当会「防人と歩む会」の葛城会長がこの度「戦うことは『悪』ですか」というご本を上梓され、実質その出版記念講演として今回ご講演いただきました。会長の人気は素晴らしく会場は壁際に予備イスを並べてやっと全員が着席できる盛況ぶり、新型コロナ対策として窓を全開にしてご講演が始まりました。


まず、ご自分がジャーナリストとしてこれまで取り組んでこられたテーマ、尖閣問題、拉致被害者救出活動、林業・農業・漁業を通じた自然環境問題そして皇統を守る活動等すべてに共通するのは「先祖から連綿と大切に受け継がれてきた日本の価値を見失ってしまった事」に起因しており、この戦後体制の闇の深さを知り「この闇を祓い、建国の理念に立ち返り、八紘為宇の世界を築くこと」が必要と思い至ったからとのことです。

因みに会長は戦後教育の申し子で学生時代は=ほとんどの学生がそうだったように=天皇制反対でアンチ自衛隊だったそうです。国を守ることに目覚めた大きなきっかけは、20代後半に実家のある所沢で「有機栽培のコメ作り」に参加した時に、指導役の農家のおじいちゃんの振る舞いに感銘したからだそうです。ため池に落ち葉が溜まらないように木の枝を伐る作業の前に、そのおじいちゃんは米・塩・酒を供え、跪き、手を合わせて「命を頂きます。ありがとうございます」と感謝の祈りを捧げたのです。この光景に衝撃を受け自分の中で何かが繋がったと吐露されていました。私達日本人の自然観=一木一草に神が宿り、感謝と畏敬の念を抱きながらその恵みを頂戴して生を育む=そのことに気づかされた瞬間だったとのことでした。


平成22年9月に起こった尖閣漁船衝突事件は葛城会長にとって衝撃でした。海上保安官たちが体を張って尖閣沖で逮捕した中国漁船の船長を釈放してしまい、政府は現場映像の公開を渋ったのです。(民主党・菅直人政権) 同年11月に義憤に燃えた海上保安官一色正治さんが衝突事件の現場映像をユーチューブ上に流しました。事実を追求するはずのマスコミが公開者への讃辞ではなく国家機密の漏洩の「犯人捜し」に終始 しており、ジャーナリズム精神を失ってしまったマスコミの程度の低さに唖然とせざる得ませんでした。その後、会長は尖閣に15回行くことになります。一色さんに面識を得て彼から「尖閣問題は民主党政権だけのせいではない。長い自民党政権の間、事なかれ対応してきた結果なのだ」という発言は印象的でした。いつしか魚釣島に一番近いところに中国公船が陣取る状況になってしまったのが今の尖閣海域です。日本政府は一切戦わず、抵抗さえしていないのです。《領土が奪われようとしている時、戦うことは『悪』なのでしょうか》


日本人として最も恥ずかしいのが「拉致被害者救出問題」だと思います。会長は北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」に出演し呼びかけを行っていますが、民間組織である「特定失踪者問題調査会」が主体と知って驚きました。「拉致問題は最重要課題」と宣言した総理大臣もいたはずなのに、国として対策・予算がつかないとはどうしたことだろう?本気ではないってことの証左ではないだろうか。恥ずかしい極みと思います。葛城会長は拉致問題に関して「日本には男はいないのか」とある講演会で吐露し、顰蹙を買った経験があると話されました。もっとも世界各地で行われているテロによる人質救出や戦争発生時の邦人救出時でさえ日本からの救援機が来ません。こういう先進国はありません。またこういう非常時にラジオジャパンは人質や避難民をサポートする放送さえしていないことを知りました。愛国心のカケラも感じられず、開いた口がふさがりませんでした。《同胞が人質になっているのを知りつつ見殺しにすること、または犠牲を払ってでも助け出すこと、この国の大人は子供たちにどうすべきと教えるのでしょうか》


お話は捕鯨問題から大麻問題へと展開します。

  元来日本人にとって大麻はコメと並ぶくらい大切な植物であったそうです。神事から衣食住に欠かせない植物でした。成長が早く、水に強く且つしなやかなことから布団、タコ糸、鼻緒、漁網、蚊帳(カヤ)等に使われていました。古くは祝詞のひとつである大祓詞(おおはらえのことば)には「天つ菅麻(すがそ)を元刈り絶ち 末刈り切りて〜」(意:清らかな麻の根本と先端を切り取って)とあり、童謡「かあさんの歌」の二番では「かあさんは 麻糸つむぐ 一日つむぐ」とうたわれているとおり、生活に密着していたことを話され、興味深かったです。それほど毒性もない大麻を法律で徹底的に使わせなくしたGHQの狙いは「麻は日本人の強さを養う源の一つ」と考えたからに違いないだろうと話されました。《日本製の麻は「指定外繊維(大麻)」と表示されています。こんな理不尽をいつまで続けるのでしょうか》


  講演は終盤になり、戦後日本の平和の礎になって戦ってくれた「ペリリュー島の戦い」のお話しをされました。米軍が「スリーデイズ、メイビー・ツー」(3日で攻略できる)と豪語しましたが、中川州男(クニオ)大佐率いる日本軍が71日間日の激戦に耐えた島です。そこには大和魂が、武士道精神が脈々と流れていました。

今こそ瀬戸際に追い込まれた日本人は現実を直視し、私たちの中にある遺伝子に火をつけ自立へ反転攻勢しようではないですかと講演を締められました。


葛城会長は研ぎ澄ませた感性の持ち主で、且つ本来のジャーナリスト精神をお持ちです。疑問に思ったことは現地に飛び、当事者の話を聞き、必要ならば一緒に汗をかき、そこから言葉を紡ぎだします。これこそが葛城会長のお仕事の真骨頂のように感じました。言葉は借り物ではありません。従って簡潔でありながら力強く響きます。隠されている日本を探っていくとどうしても「皇統」にたどり着きます。奴隷制度がなく君民一体という世界史の奇跡の国・日本です。葛城会長のご本が多くの方のDNAに作用し、八紘為宇の日本を取り戻す大きな力になることを期待してやみません。

 

令和3年5月22日 永岩俊道氏

●参加者の感想

今回のフォーラムは緊急事態宣言下、30名と人数を限定しての開催でした。
元空将、イーグルドライバーであった永岩俊道先生をお迎えしてお話しを伺いました。テーマは[中国軍のエアパワーの近代化]について。
わたしの職場がある銀座の街も外国人の姿が消えてから1年以上になりますが、それ以前はというと、どこへ行っても彼の国の方々が楽しそうに賑やかに観光や買い物を楽しんでいました。ふと日本が彼の国と事をかまえるようなことになったら、この街を行き交う方々はみんな外国人…どんな事になってしまうのだろう…?と薄ら寒い感じを覚えました。
先生は、世界の勢力地図はすっかり変わっており、経済的に力を持った彼の国が、いかに戦いの為の装備を整え世界に進出しようとしているかを語ってくださいました。
中国の軍備は陸海空のみならず、宇宙やサイバーにも及び、軍備予算を着々と増やしています。ミサイルや空母、J-20などの新しい戦闘機や無人機などを導入して戦力の増大をはかっています。経済力にものをいわせて南シナ海ではいくつもの島々を軍事拠点化していること等々、〜立ち上がり豊かになり強くなる中国〜世界はこの中国の変貌にとうとう危険を感じるに至りました。
中国は内政も不安定で数々の問題がありますが、恐ろしいのは我が国と同盟を結ぶ欧米の国々とは全く異なる主義主張、価値観で対してくることです。
彼の国からの視点で地図をみると、海への進路を塞ぐように我が国は横たわっております。距離的にも近いところにいる厄介な我が国を踏み荒らして中国は太平洋に出て行こうとしている…?銀座の街で彼らの楽しげな傍若無人ぶりを見なくなって安心している場合ではありません。ひたひたと目に見えないところで侵略されつつあるという恐ろしい現状…
最後まで怖くてできなかった質問…「このような中国に対して我が国が勝てるところはあるのか…???」
同盟国は各々、自国の国益を考えて行動しており、いざという時は必ずしも我が国にとってよい方向に動いてくれるとは限りません。平和を保つにはいろいろな手段はありましょうが…天は自ら助くる者を助く…英文法の授業で覚えた例文を思い出します、先生の引用された「汝、平和を欲するならば戦いに備えよ」との言葉が胸にささります。
自分の国は自分たちで守らねば。
先生のお話しでたっぷり危機感を覚えたところで、問題はやはり自分にできることはなんだろう?ということです。先生はこうした意識を他により多く発信、拡散していくことが重要だともおっしゃいました。平和の恩恵にどっぷり浸かっているような私如きに一体何ができるのかしら…?と考えました。
まずは憲法改正について、よりよい意見と見解を持つ人を政治に送り出すために、ささやかながらも選挙権を行使すること、そして我が国の防人の方々に声援を送る…そんな当会の一員として自衛隊のプレゼンスを高められるよう、明日からもまた考えながら行動しようと思いました。
折しも岸防衛大臣が防衛費を1%枠を目安にせずに、状況変化に適合できるよう増やしていく考えであると発言したことがニュースになりました。なかなか充分とはいえないまでも、平和を維持する為の備えがより強固になりますように、我が国の尊敬するべき防人たちが手枷足枷なく、持てる力を存分に発揮できるような世の中にしていきたいものです。
美しい我が国を自分たちで守りましょう。

永岩先生、貴重なお話しをありがとうございました。会員の皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

令和3年5月30日
防人と歩む会会員  松原澄子

 

●当会スタッフフォーラムリポート

今回は元航空自衛隊航空支援集団司令官空将の永岩俊道氏(72才)をお迎えし、「中国人民解放軍のエアパワーの近代化について」という演題で講話いただきました。氏は防大から航空自衛隊に進み、戦闘機パイロットとしてF86 → F4 → F15という輝かしい搭乗歴をお持ちの方です。カーテンを閉めた会場の照明が落とされ、トップガン2のメーキング映像が映し出されます。(ご講演の前座にトム・クルーズを登場させるなんて、イキですね。因みに永岩講師は同映画の日本語字幕の翻訳に関して戸田奈津子さんに協力しているとのことです。映画は11月の中旬に公開予定との事)

  中国はケ小平時代「才能を隠し、力を蓄える」政策を行っていましたが、現在の習近平は「中国の夢」にまっしぐらです。過去30年かけて着実に国力をつけ、今やアメリカと覇権争いをするまでに大きく強くなりました。

中国は1991年の「湾岸戦争」で米軍を中心とする多国籍軍が一方的な勝利を収めたことから、これからはハイテク局地戦の時代であると認識しました。従来のロシア方式ではダメで、軍事力整備の方針も「量的規模型から質的機能型へ、人的集約型から科学技術集約型へ」転換しました。その流れで空母、宇宙、サイバー、無人機等にマルチドメインに展開していることを解説いただきました。軍人の許其亮(きょきりょう、1950年生、元空軍司令官)あたりが中心になって政策立案した模様です。国内・国外からの圧力があろうと政策変更をしたり歩みを止めようとしないところが中国の強みであり、脅威です。永岩講師はかつてある米軍軍人から「日本は目の前に危機が差し迫っているのに何故具体的な対応をしようとしないのか?」と質問され、絶句しましたと話されました。

  講義の終盤には19世紀中ごろのイギリスの政治家パーマストン(首相・外相)の言葉を紹介されました。それは『英国には、永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだ。』という有名な言葉です。時代はヴィクトリア女王の前半期に当たり、日本は幕末期に当たります。激動の世界情勢の中でバランサーとしてアメリカを脅したりロシアをクリミヤ戦争に引きずり出し袋タタキをするなど、剛腕の政治家です。私達日本人は彼の言葉から世界で生き抜く凄まじさを学ぶべきでしょう。    永岩講師は日本の差し迫る脅威について、ここに集まった方がぜひとも身近の人(特に若い方)に広めていただくことを期待しますとのメッセージで講演を締めました。      

私の個人的な体験ですがある教養がある70歳代の男性との会話で、その方が「台湾は大変だね。」と言われたので、私は「日本も同じじゃないですか。」と答えたところその方が「日本は大丈夫でしょう。だって尖閣を奪う大義がないでしょう。」と言われました。   

 日本は古くから国家観が醸成されていました。記紀や防人の歌などで庶民レベルまで浸透していたことが伺えます。皇統の定着に伴う「八紘為宇」の考え方が人々に与えた精神の安定の意味は大きかったと思われます。一方、チャイナの歴史を見ると民族が入り乱れ覇権争いの繰り返しです。そこには国家観はなく、「王朝」と「支配地域」があるのみです。つまり皇帝が君臨し、王朝の権力の増減に比例して支配地域が大きくも小さくもなります。王朝が必要と判断した地域を支配地域に組み込むのはしごく当然なことなのです。今の中国もこのスタイルは全く変わりません。

 王朝(共産党)が本国から太平洋に出るための海域が尖閣・宮古島および台湾の海域でありその海域を一括りにして支配海域にしようとしています。過去の領有権云々は全く気にしませんし、必要ならば歴史をデッチアゲればそれでよいと考えているでしょう。アメリカが出てこないと読めば、何ら躊躇なく盗りに来るはずです。アメリカのパワーがあるから“日本”を区別しているのにすぎません。

情報戦として中国共産党の非道を世界にアッピールすることは必要ですが、中国共産党の政治決定について道義や国際法遵守に期待することはあまりにもナイーブすぎるのではないでしょうか。自国の安全保障を他国に委ねた国はいずれ滅ぼされる運命にあることは歴史が示しています。

かつてのアメリカは世界の富の50%を持っていましたが今や1/4を切っており、中国に追いつかれようとしています。日本にとって戦後七十数年間は見せかけの平和の時間にすぎません。「同盟とは自国の利益を増進させるための道具」であるなら、この期に及んでアメリカ頼りは危険すぎます。今や日本が自立への覚悟を固めるギリギリの局面にいるという永岩講師の見解を国民の共通認識にしていきたいと強く思いました。

 

令和3年4月24日 矢野義昭氏

●参加者の感想

本日は,矢野義昭 氏の 「中国の台湾、尖閣侵攻シナリオ 軍事力バランスからみた可能性と様相」を聞いてきました。
中国の軍事力が日増しに強くなっていることはメディア等で感じてはおりましたが,それを具体的な数字を持って知ることが出来たのはとも有意義でした。
と同時に,日本がまだまだ危機感を十分に持っていないことが問題であると実感しました。
具体的な日本侵攻,あるいは台湾侵攻の予想等もお聞きすることができ,このような事実をより多くの人々に知って欲しいと切に願っております。

志田一馨

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