令和2年度 活動予定・記録

  >>平成27年以前 平成28年 平成29年 平成30年 平成31(令和元)年

フォーラム
イベント
25
中止 ・総会(オンラインにて)
25
中止  
20
自衛隊中央病院長 防衛技官 上部泰秀氏  
25
ムカイダイス氏  
28-30 金-日   熊野飛鳥むすびの里・
伊勢神宮研修
28

小野善一郎氏

 
10
24
五島浩司氏  
11
21
荒木和博氏・増元照明氏  
12
12
岡部俊哉氏
 
  ・防衛省年末挨拶
  ・習志野空挺団降下始め見学
23
   
27
・西村金一氏  
27
・末次富美雄氏 ・総会準備打合せ・最終決定

 

令和3年3月27日 末次富美雄氏

 

●参加者の感想

^^―初めてフォーラムに参加させていただきました。
国防は、私たちの最も重要な生活インフラの一つでありますが、その実情は普段中々知る機会がありません。 国防における正しい知識・判断能力を養うため、入会を決意しました。今後ともよろしくお願いします。

「太平洋の島々を巡る攻防」をテーマにした末次富美雄先生のお話は、中国側から見た視点や帝国海軍の作戦との比較など、国防を考える上での着眼点に感銘を受けました。軍事の専門家は、どういった目線でモノを考えているのか、それを考えさせられる貴重なご講演でした。
また、政治サイドでは、先の大戦を総括できていない中、自衛隊内では過去の作戦に対する反省が生かされている点も垣間見ることができ、誠に心強く思います。

太平洋の攻防では、まだまだ米国側が優勢であるとしても、やはり日本が存在感を示せていないのが悲しいです。 日米豪のクアッドの功績もありますし、自衛官外交で頑張っている話も伺います。しかし、根本は国民の当事者意識だと思います。ご講演でも、台湾有事に日本はどうするのかとの問題提起がありましたが、尖閣は勿論のこと、台湾、南シナ海、ホルムズ海峡等、平時の防衛予算もそうですが、有事の際、国民の後押しが無ければ、国民が自衛隊の足を引っ張ることになってしまう、それを凄く懸念しています。思想戦・世論戦に負けてはダメですね。

我が国の政治にも様々な課題がありますが、一方で中国国内の政治にも目を向けなければならないとも改めて感じました。
失敗は許されない習近平体制、人民解放軍の統制の体系や能力等、相手に「勝てるかもしれない」と思わせないためには、相手を知ることが第一歩だと学びました。

2022年の北京五輪、中国は何としても成功させたいと考えているかと思いますが、人権問題により欧米は非難轟々で、五輪参加も危ぶまれる状況と見受けられます。日本もそれに乗るべきとの声がありますが、私は、まずは今年の東京五輪を成功させること。日本の為にも、各国の為にもこれが最重要だと思っています。コロナ禍を乗り越え、復興五輪を成功させ国民を団結に導く、勝負はそこからだと思います。

懇親会では、参加された皆様の日頃の活動や思いをお聞きし、楽しく充実した時間を過ごす事ができました。ありがとうございました。また勉強させていただきます。

 

 

令和3年2月27日 西村金一氏

【橘貞雄のフォーラムリポート

 今回は元防衛省・自衛隊情報分析官で現在は軍事・情報戦略研究所所長の 西村金一氏(佐賀県出身 68才)をお迎えして講和をお伺いいたしました。西村氏は陸上自衛隊幹部候補生から第一空挺団等を経て防衛省・自衛隊情報分析官業務に着かれ、退官後も北朝鮮を中心とする情報分析関係に携わっている専門家です。
戦後の日本、制約と思惑の狭間に自衛隊が生まれました。当然情報収集も厳しい制約下にあったものと思います。その中にあって西村氏は30年以上にわたり北朝鮮を中心に情報分析を積み上げてきました。私たちを取り巻くオールドメディア(TV・新聞)発の世界情報は海外メディアの受け売りかプロパガンダを論評なしに伝えているのが実態で、真実と実像が見えてきません。今回の西村先生の情報分析に興味が募ります。
アメリカがトランプ大統領だった4年間、北朝鮮状況も大きな動きを見せました。トランプの強烈な個性もあり、トランプ・金正恩の直接会談が実現するなど、「もしかして、拉致被害者が帰ってくる。」という期待感が高まったのを覚えています。私たちは「北朝鮮はアメリカに近づき中国に距離を置くのでは」 「北朝鮮がときどきミサイルを発射させるのは主には各国への販売促進デモであろうが、中国へのけん制もあるのではないか?」「北朝鮮は集団指導体制に移行しつつあるのか。」などと希望的観測で判断しがちです。それらに対し西村先生は北朝鮮に対して次のように分析されました。

(1) 北朝鮮の特異さ
・自己・国PRのためならプロパガンダはもちろんだが、合成写真、架空写真 なんでもあり。
・情報収集能力は高くないが最近は韓国が国境線警備を緩めている為スパイは容易に往来している。
・軍事力もまだら模様:例えば空軍はボロボロで潜水艦もイマイチだけど、特殊部隊は脅威。

(2) 金政権下での軍事力整備
・核爆弾はもつものの従来の北朝鮮の軍事総合力は低いとされていたが、各種ミサイルを開発により韓国全土を同時攻撃できるレベルまでに引き上げた。この点では金正恩は金正日もできなかったことを成し遂 げた軍事的天才。

(3) 北朝鮮は経済的にも軍事的にも中国と一体
・近代兵器はすべて中国の技術が入っている(大型ロケットは中国製と似ており、運ぶトラックは同型)
・現在国際社会から経済制裁を受けているが、酷いニュースは入ってこない。(95年当時は餓死者の情報も多く入ってきた)
・中国は自国政策遂行に北朝鮮をうまく活用している。(中国が侵略や人権侵害を進める時、世界の関心を外に向けるために北(ロケット発射)を利用)
・中国の太平洋戦略(接近阻止・領域拒否)と北朝鮮の対韓国・日本戦略が合致。

(4) 金正恩の権力基盤はしっかりしている
・金正恩政権下で権力に座に長く居続けた者はいない。
・とくに軍人に力をつけさせないように運営している。
・その他の党内人事情報はカモフラージュの可能性。

(5) 拉致問題解決の可能性
・朝鮮有事は僅かではあるが拉致奪還のチャンスに変る可能性あり。
・ただ、国民の「国を守る意識や同胞を取り返す意識」がもっと社会のパワーになっていないと、せっかくのチャンスを活かしけれない。

 以上が西村先生の分析の骨子です。私は改めて半島で国家を維持していく姿を教えられた思いがしました。朝鮮半島は地政学的に常にいくつかの大国の力学の中で国家のかじ取りをしなければならない運命にありました。現在も全く変わっていません。大国は常に横暴で残酷なものです。北朝鮮は嘘をついたり阿ったりしながら生きて行くほかなかったのでしょう。経済力は日本の一県分のGDPしかない国です。日本はというと、この北朝鮮に国民を拉致されて何の手も打てないでいるのです。それが現在の日本の現実なのです。
 西村先生の講義を受けていて、昨年11月に茂木外相と王毅外相(正確には外交部部長)との会談を思い起こしました。王毅外相の尖閣は自国領土かのような発言に対し、茂木外相は媚びたゆがんだ笑顔をつくって「シェシェ」と答えた会談です。わが国の主権を主張すべき代表である外相がいろいろな圧力があるとは言え、「国を守るという意識」からこれほど遠い立ち位置しか示せないのかと愕然としました。西村先生のおっしゃるように、政治家を動かすためには国民一人ひとりが「国を守る意識」を高めパワーとなる以外にないことを改めて痛感いたしました。

 

令和2年12月12日 岡部俊哉

【橘貞雄のフォーラムリポート】 
 今回は元陸上幕僚長をご経験された岡部俊哉氏(福岡県生まれ 61才)をお迎えして講和をお伺い
いたしました。岡部氏は今から35年前の1985年8月12日の夕刻に起きた日航機123便の墜落事故(御巣
鷹山)の墜落事故に災害派遣された自衛官の一人でもあります。「国土防衛と災害対応」のテーマをメ
インとし、併せて日航機墜落事故の災害派遣時の体験も語っていただきました。
「国土防衛と災害対応」の講義は軍事学であり貴重な内容でした。「皆さん、クリント・イーストウッド監督が作った映画『硫黄島からの手紙』を見ましたか?」の問いかけで始まりました。岡部氏はアメリカ人の作った映画なのでどう描いているか不安だったそうですが、映画の終盤の栗林中将が自決する前の言葉に感動し、脚本も素晴らしくこの映画のファンになったそうです。岡部氏の国土防衛に捧げた先人への共感と崇敬の念がひしひしと伝わってきます。
〔映画にて〕   栗林 中将 :「ここはまだ日本か?」 (渡辺 謙)
西郷1等兵 :「はい。日本であります。」(二宮和也)

 後半の日航機墜落事故の災害派遣の体験談では、凄惨な現場とご自身が急性ストレス障害(ADS)に
なってしまい悩んだ経験も率直にお話いただきました。私たちは生存者の川上慶子さんが自衛隊員に
抱きかかえられてヘリコプターに吊り上げられている救助画像が脳裏に焼き付いていると思いますが
、本来は毛布に包んだまま吊り上げるものを直前に複数の手が伸びてきて毛布が剥がされたとの事で
した。なんとその複数の手はマスコミ関係者だと聞かされて、唖然の反応後しばしして砂を噛む気分
で事実認識をしました。あの劇的な救出写真は自衛隊の決死の救助活動と特ダネ写真を撮れれば何を
やっても良いというエゴの塊に化したマスコミ(関係者)の合作ということを知って、複雑な思いがしました。1985年を振り返るならば、第二次中曽根内閣で好景気でした。《スーパーマリオ》が登場し若者は《イッキ飲み》、アン・ルイスの《六本木心中》が街に流れていた時代です。そしてあのプラザ合意がこの年の9月に調印されました。直後から日本は空前のバブルを引き起こし一転して経済の長期低迷に入っていくことになっていくきっかけとなりました。私たちはアングロ・サクソンの仕掛けの怖さを十分知っているバズなのに、悲しいかな駆け引きの学習が不得手な民族のようです。岡部氏は歴史に造詣が深く、三国志や日本戦史を引用され、縦横無尽に自説を展開します。快活さと直截な語り口が魅力的で、いつしか全員が岡部ワールドに引き込まれていきました。
〔国土防衛と災害対応のご講演ポイント〕
〇防衛白書に記載のように、厳しさを増す安全保障環境の中で質量優位の脅威に対処するためには、
宇宙・サイバー・電磁波といった新領域と従来の陸・海・空の領域の組み合わせが重要になっている。
〇その考え方は正しいが、そのために「地上に近寄らせなくすればよいのだから、海と空が重要」と
いう単純な論調が主流になっていくのは危険と思っている。
〇沖縄について「安保5条の適応範囲」とは言わない(=言う必要がない)のに、尖閣についてはあえて
「安保5条の適用範囲」とアメリカに言ってもらって安心している日本は大丈夫なのだろうか。
そう言わないアメリカ大統領が出てきてもおかしくないということではないか。アメリカはあえて
曖昧にしていることの意味を日本人は冷静に考えるべき。
〇陸戦の特色:「人間の支配」であり、その手段として「陸地の支配」 つまり、地域を支配するこ
とによって、敵に活動させない状態を作る(殲滅または排除)
そのためには、地形、特に地表面の複雑さと多様性を考慮した戦術が有益。兵站は死活的に重要。
〇日本は専守防衛を基本にしているが、防衛に重点を置くことは莫大な予算を必要とする。
〇地形の戦力化 : @攻撃と防御の戦力比重は攻撃:防御=1:4 A歩兵の一歩は75センチ幅で
1日歩行距離は60q という基本だが、地形の高低差を活かすことで、戦闘力を最大化できる。
〔日航機123便墜落事故の災害派遣の体験のご講演ポイント〕 
―日航機事故の詳細は割愛。機内には幼児12名を含む乗客520名と乗組員15名の計524名が搭乗。乗客4名(全員女性)のみが生存しており救出された。
〇災害対応の場合、昔は民間と競合しないために「最初に被災地に入り基本インフラを復旧させたら
直ちに撤収する」が基本だったが、近年の度重なる災害対応を通じて「ファースト・イン&ラスト・
アウト」に変ってきた。
〇一般的には災害要請に基づき自衛隊は出動するが、法的には「自衛隊の判断で出動できる」建付け
になっているとのこと。アメリカでは軍隊出動は当然議会承認事項になっている。
〇現地での惨状…極限状態の言い尽くせない状況
・シートベルト→ご遺体の上下がバラバラ ・イス→熱でご遺体がイスと一体化 ・ペディキュア→
下半身だけのご遺体に鮮明に残っている不思議さ ・モミジ→ビニールに入れた幼児の掌 ・重い・軽い→袋に入ったご遺体の処理を続けていると、重い(=男性) 軽い(=女性) と無感覚になっていく
自分自身への不信感
・ぬいぐるみ→ディズニーランド帰りなのだろうか、この惨事の中無傷で色鮮やかに横たわる奇妙さ
ご遺体を運ぶへリコプターの臭気は極限だったとの事でした。また、ご遺体のそばで二晩寝たそう
です。8月の雨の中焼け焦げた匂い、燃料の匂い、死臭に囲まれての経験は筆舌を越えていたと述懐
していました。
〇任務を終えて隊に戻ると、同僚先輩から「目つきがおかしい。狂人のようだ」と言われたとのこと
です。帰隊期から3日目に急性ストレス障害が発症し、1ヵ月間にわたり苦しむことになります。当時
はこの病気が一般的に認識されていないため、誰にも言うことができずにひとり悩んでいたとのこと
です。
・暗闇に対する恐怖心→当時単身アパート暮らしだったのですが、電気はつけっぱなし状態
・不眠→大量飲酒(サントリーレッド?の特大サイズ)
・悪夢または幽霊か…毎晩カーテンのない窓に人が並ぶ(目覚めると消える)
・肉食拒否→1ヵ月間、野菜炒めで乗り切る   ・臭い→強めの臭いには過剰反応
〇心的外傷後ストレス障害について陸上自衛隊隊員と福島原発職員との尺度比較をすると、陸自2.8%
対原発職員25.3%とのことです。この違いは、仕事という責任感以上に“国民から支持されている、期
待されているという安堵感”なのだそうです。
近年の我が国では、政治リーダーではなく現場指揮官に勇敢な愛国者が数多くいました。その代表
例が先述の小笠原兵団約21,000人の指揮官、栗林忠道中将です。硫黄島はマリアナ諸島(サイパン、グ
アム)と日本本土の中間に位置しておりアメリカのB29爆撃機による日本本土攻撃時の不時着用として
最適の島でした。(終戦までに2200機以上不時着実績) アメリカ軍は約7万人余り、制海権も制空権
もアメリカにあり、圧倒的な火力差での戦いです。アメリカの上陸部隊指揮官は「5日で片づける」
と豪語していたのですが、実際には36日にも及ぶ長期戦になったのです。栗林中将は「予は常に諸氏
の先頭に在り」の通り最後まで戦いました。戦史に残る壮絶な戦いでした。日本側の戦死傷者は
20,933人(戦死者19,900人、戦傷者1,033人) アメリカ側の戦死負傷者は28,686人(戦死者6,821人、戦
傷者21,865人)と日本側は玉砕しましたが、戦死傷者ではアメリカ軍は日本軍の数字を上回りました。
現在の日本人はこのような命を捧げた英霊の方々によって生かされています。岡部氏がおっしゃっ
た「国土なくして領海も領空もない」との言葉が耳に残りました。

   防人と歩む会 理事 橘貞雄


令和2年11月21日 荒木和博氏・増元照明氏

  

【橘貞雄のフォーラムリポート

 日本は1945年8月にB29による広島、長崎への原爆投下でとどめをさされ日米戦争終結、敗戦国日本は1950年の朝鮮戦争勃発で経済復興のチャンスを得、51年のサンフランシスコ平和条約によって国際社会に再デビュウ、国内的にも「所得倍増政策」や1964年の「東京オリンピック」開催等ひたすら高度成長に邁進しました。国民も国家もそのエネルギーを経済に集中することで、ほとんどの問題を解決できると信じていた時代でした。しかし、この陰で北朝鮮は日本人拉致を開始しその後繰り返し実行していたのです。
 今回はこの拉致問題に長年取り組んでこられた著名な増元照明氏(拉致被害者家族会元事務局長)と荒木和博氏(特定失踪者調査会代表)のお二人をお招きし、順にお話をお伺いいたしました。
 増元照明氏は実姉が拉致被害者という当事者として、荒木和博氏は若くして民社党本部書記局に入局し党として拉致問題に係わる一員として、それぞれ拉致問題が世間に知られる初期から関わってきました。ただそのお二人共が「本格的に取り組んだのは事実を知ってから約10年の歳月を要した」とのお話があり、意外でした。またその理由が共通しており、『恐怖心です』という言葉に驚きと危害をうける恐怖感が伝わってきました。共産国家の北朝鮮は簡単に命を狙ってくるだろうし、武器も持たず国家でさえ戦わないと宣言している国の個人がどう対応すべきか知る由もありません。戦後、国も国民も経済至上主義で豊かさをひたすら追い求めてきました。しかし、気づいてみると不正義を許さない心や同胞への情という大和心や武士道精神をどこかに置き忘れてしまったのです。国民はおろか国のリーダーや国家さえも。このGHQの思惑にいまだ支配されている政治、教育やマスコミ、それに利害が絡んで出来上がった『カサブタ』との戦いが拉致問題の本質であると吐露されました。無関心な国民に訴え、政治家の裏切りを何回も経験してこられた両氏の言葉の重みが伝わってくる印象的なご講演でした。

〔増元照明氏のご講演ポイント〕
〇1988年に衆議院予算委員会で北朝鮮拉致に関して梶山静六国家公安委員長の発言があったにもかかわらず、産経新聞がベタ記事にしただけで、他のマスコミは政治部も社会部もスルーしてしまったとのことです。
〇警察は北朝鮮の無線傍受等により拉致のことをある程度知っていたが、「公表は無線傍受を知られる」などの屁理屈で何の対応もしなかった。過去から知っていたことを隠し、国民をまもるより組織を守ることを優先した。
〇最も卑劣なのが外務省。2002年(H14)の小泉訪朝の際、増元氏から外務省幹部に「拉致被害者はまな板の上に乗っている。命の問題なのです。『返せ、殺したらとんでもないぞと言ってください』とお願い」したのですが、彼は「日朝国交正常化」を第一義とし、「13人の安否さえ教えてくれたら協力金を出す」と交渉したと憤慨していました。この人物はいまでもマスコミに登場してもっともらしいことを言っており本当に許せない人物です。
〇増元氏は長年の活動を通じて現在の心境を言うならば、「世の中にヒーローはいない。自分たちが《鬼滅隊》となり一人ずつ人数を増やし勢力増強を図る以外に道はない。」また、「日本人の8割がブルーリボンをつければ、北朝鮮にプレッシャーを与えられる。」とも述懐していました。
〇増元氏のお父さんはお亡くなる前に「俺は日本を信じる。お前も日本を信じろ!」と言い残したとのことです。街頭に立ち人々に訴え且つ政府要人に頼んでも一向に光明が見出だせない苦しい状況に負けないで耐えていたのだろうと思うと、胸が締め付けられる想いでした。

〔荒木和博氏のご講演ポイント〕
〇2013年12月に金日成の娘(キム・キョンヒ)の夫の張成沢(チャン・ソンテク)が金正恩に粛清されたが、北朝鮮をマネージメントできる人物は彼ぐらいだっただろう。
〇北朝鮮を国と思わない方が良い。戦略があって計画的に物事を進めているわけではない。略奪集団の頭目が気ままに憂さ晴らしをしている感がある。
拉致にしても、最初は工作機関の点数稼ぎ、よど号事件で優秀な若者の亡命を経験すると若者拉致に切り替え、1人だと精神的に不安定だと分かると今度はアベック拉致に切り替える。また、原発所在地の新潟、金沢、福井あたりを狙った時期もあったようだ。
〇荒木氏は日本が国家意思を持っていない事(≒持たされていない事)が、拉致問題を根深いものにしており、何重もの『カサブタ』を作ってきてしまったと考えているようです。従って、総理大臣が「私の時代に拉致問題を解決します。」と言おうが「拉致問題は最重要課題です」と言おうが、そんなものは信じられる訳ないと言ってました。その厚くて固い『カサブタ』をこじ開けるためには、命と引き換えでありしかも何人もの血が必要なのだ、ともおっしゃっていました。「命を懸けると言った政治家は何人もいたが、命を懸けた政治家は一人もいなかった」という荒木氏の言葉がむなしく耳に残ります。
〇ただ、中越地震で坊やを助けたレスキュー隊がいたごとく、草莽が力を合わせれば政治家を動かし、自衛隊を動かせることは必ずできると信じているとの発言に、諦めない意思が伝わってきました。

 

 お二人のお話を拝聴して様々な想いが巡りました。終戦から現在までの日本人にとっての弱点をまざまざと見せつけられたように感じます。「国民が他国から違法入国の輩に拉致され連れ去られる」という単純な事案に対し何ら打つ手がない国家というのはあり得ないはずなのに、ここ日本では何件も起こっていて解決の見通しもついていないのです。
私たちが住んでいる日本は2000年以上の歴史をもつ国ですが、75年間も他国の軍隊が駐留したことなどありませんでした。因みに世界では、他国の軍隊が駐留している国は独立国とは見なされません。詳しくはないのですが、663年の白村江の戦いで日本が惨敗した後に、唐からの郭務宗(カクムソウ)が2000人の兵を連れて筑紫に滞在したらしいですが、捕虜返還を前提とした唐への軍事協力要請と聞いています。もちろん日本は都を難波、飛鳥そして大津へと移し、“防人”の制度も強化しています。この時代に庶民まで国家意識が醸成されており、国家として制度が適正に運営がなされていたことに誇りを感じます。
 悲しいことに先の戦争から75年もたって日本は自立できないでいるのです。このことが拉致問題の本質なのでしょうが、皆知らぬ素振りで見ないようにしているのです。同胞の痛みを共有できない民族、戦うことから逃げる民族は危険です。過去200年間に他国から攻撃されて消滅した国は51ヵ国、なんと国家死亡率は 24%という事実を直視すべきでしょう。
 お二人の話をお伺いしていて「自主防衛力を持たない国は、外部からの攻撃だけではなく、内部からも衰弱し崩壊していく」というジョン・ミアシャイマーの言葉が思い出されました。日本をそうしないために、草莽が手を携えることで繋がりを強くしてできることを一つずつ実行していくほかないと感じた次第です。

 防人と歩む会 理事 橘貞雄  

拉致問題アワー #477】横田めぐみさん拉致から43年
/VTR「防人と歩む会」質疑応答〜葛城奈海・荒木和博・増元照明[桜R2/11/28]


令和2年10月24日 五島浩司氏氏

  

【橘貞雄のフォーラムリポート

 今回は、海賊行為が多発している危険水域アデン湾に2009年日本で初めて船舶の護衛活動の指揮をとられた五島浩司氏(元海将補)をお迎えして、「ソマリヤ沖・アデン湾における海賊対処活動の概要」というタイトルでお話を伺いしました。2000年代初頭から海賊行為が多発し各国が2008年から海軍艦艇を派遣日本も数々の制約のなか2009年に海上自衛隊派遣に至りました。〈麻生総理の時〉アデン湾を通行する年間約2万隻のうち約1割(2000隻)が日本関係船舶というのも驚きでしたし、紅海の入り口のアデン湾が日本の本州がすっぽり入る位の広さがあるのも改めて認識しました。この前例のない任務に対してゼロからの準備、過酷な環境下での護衛活動遂行、隊員達の健康管理に至るまで実体験を語っていただきました。

(1)最初に10分程度の解説ビデオを見ました。現場の雰囲気も含めて全体像を理解できました。甲板に純白の制服で整列する隊員と桟橋を埋める見送りの人々の出港場面のカットでスタート。見送る家族の一人一人の想いを受止めた隊員たちは凛々しい。いよいよ出港、一斉に敬礼そして「帽振れ」、アラビアに向けて長い航海が始まります。そして訓練風景、操縦室内でも防弾チョッキを着こんで慌ただしく動く姿や実弾訓練の様子…重機銃の連射と着弾を示す一連の水しぶきが生々しく戦慄が走ります。ヘリコプタ−からの機銃連射も角度があり、迫力と臨場感が凄い…〈自分の死を考えることも辛いが、「人を撃つ覚悟」、隊員教育は受けたとはいえ現代の日本の教育や世間の風潮を考慮するとそのストレスはかなりのものと推測されます。〉 
 また、漁船と海賊船は同じようなサイズの船なので、ヘリコプターから船の積荷を見ないと、見わけがつかないとのこと。漁船は網等の漁具だけですが、海賊船はスクリュウを2個つけているものが多く、獲物の船に乗り込むハシゴや銃を隠し持っているとのことです。中には漁船から海賊船に早変わりする輩もいるので気が抜けません。ヘリコプターが極めて重要な役割を果たすことが判ります。

(2)五島氏の語り口はリアルが故に現地の光景ときびきびと任務遂行に奔走する隊員たちの姿が目に浮かぶようでした。準備段階では海上保安庁、国交省、日本船主協会との情報交換・連携を十分とり、護衛行動の具体的プランを事前に国交省や日本船主協会と合意しておいたことが、現地でのスムーズな運用に繋がったとのことです。(前と後ろを固めるゾーンディフェンス) また装備品等も重要で、例えば船に大音量のスピーカー(LRAD)が必要と分かり、苦労して調達したと話していました。通告用ではあるのですが近くで使用すると身体に異常をきたす効果もあり、海賊対策には不可欠な装備だったとのことです。
ただし、現場ではイレギュラーはつきものです。日本の法律では当初「日本船籍および日本の関与が強い外国船籍の護衛」で国会承認されましたが、現場では、そうではない外国船籍から「海賊に追われている」という信号を受信したこともあるそうです。シンガポール船籍の船を助け、シンガポール政府からも大いに感謝されたという美談もありました。これに対し日本の一部マスコミからは「法律違反」と非難があったとのことです。「船員法第14条」の救助義務を盾にとってマスコミ対応をしたとのことです。〈こういう話を聞くとほんとに腹が立ちますね。〉
 護衛をされた船から多くの「御礼」の打電があったとのことです。これらを食堂に貼り出すことで、隊員達の大きな励みになりました。飛鳥Uなどの護衛は納得ですが、任務とは言え【ピースボート】の護衛は国民としては複雑な気持ちでした。
 また、補給地のジプチ市内の写真を見ると、2階建てのイスラム風建物を背にして家畜と人間が行き交う風景であり、一瞬現代であることを忘れさせます。外出した四十数名が下痢になったこともあるそうです。ミネラルウォーターも“大腸菌入り”らしく、信用できません。リフレッシュのはずの上陸は、健康リスクからひったくりリスクまで揃っている冒険のようで大変だったようです。
※ジプチ共和国はアデン湾に面し、ソマリヤ、エチオピア、エリトリアに囲まれた人口90万人の小国

(3)講演の終盤は隊員達への感謝、若手隊員の成長談や事故で日本にいる52才の父親を亡くした隊員の心情などの人間ドラマも披露いただきました。19才で参加した若者は過酷な環境下での任務を真面目に遂行し、且つジプチの実情に接することで「日本って、ほんとに素晴らしい国だと分かりました」と言えるまでに大きく成長していました。五島指揮官はその言葉を聞いて、日本の若者は教育さえきちんとすれば大丈夫なんだと確信したとのことです。父親を亡くした28才の若者は日本に帰そうとすると「帰りません」との返事。母親に連絡しても「息子がそう言うなら…。」 その息子が船内で見当らくなり全員で捜索したところ人があまり行かない船室で号泣しているところを発見。聞いてみると「出港の時に父親から『お前は誇りだ!』と言われていた」とのこと。まさに船内でのやり取りが私の脳内で映像化され、目頭が熱くなっていました。

(4)当然のことながら、50度を超える酷暑の中での訓練や任務、アフリカ大陸から運ばれてくるの砂塵のうっとおしさ、補給地ジプチの家畜と人間がともに行きかう市街地の匂い等々 実体験したものでなければ到底理解できないご苦労があったものと思います。(因みに、ジプチ港はラクダの積出港として有名とのことです)
 確かに自衛隊の護衛活動は世界から一定の評価を得ました。また、海上自衛隊としても利点は大きかったとのことです。海上保安庁と海上自衛隊発足時からのギクシャクした関係がかなり改善された事や先の戦争時に商船を護衛しなかった海軍に対し敵視していた日本船主協会との和解等大きな収穫はあったとの ことです。

 私達国民にとっては、2009年のアデン湾における海上自衛隊の活躍を誇りに思ったことを覚えています。そして現在、世界はWWU以後の秩序が大きく崩れつつあります。米中覇権争いで分かるように、新しい秩序に向けて各国が激しく陣取り合戦をしている状況ですが、日本の国家戦略が見えてきません。命の危険と隣り合わせの使命を担う自衛隊の諸活動が国民の気づきの「鏑矢(かぶらや)」になり、日本の安全保障政策のギアチェンジにつながることを切に望む次第です。  

防人と歩む会 理事 橘貞雄


令和2年9月28日 小野善一郎氏

 はじめまして。愛知県在住の山本と申します。
葛城会長とは、熊野飛鳥むすびの里や事務長を務めてます政経倶楽部名古屋支部の8月例会でご講演を賜り、そのご縁をきっかけに、この度防人と歩む会に入会しました。
 
 以前、小野善一郎先生の勉強会に参加している友人から「ぜひ小野先生のお話を聞くといい」と言われたことを思い出し、今回思い切って参加させていただきました。
柔らかく優しいお顔と表情の小野先生ですが、講演が始まりますと、圧倒的な迫力のエネルギーを放ちます。その気迫に自然と背筋が伸びました。
冒頭では、小野先生にリードしていただきながら、参加者全員で大祓詞を奏上すると、途中から体の中心(魂)が温かくなるような感じがして、言葉の持つエネルギーの凄さを感じる体験をさせていただきました。。
 大祓詞や古事記の解説、歴代天皇と国民の関係性、神道と他宗教の違い等々、日本人として踏まえておきたいことをたくさんお話してくださり、大転換期と言われる今こそ、日本人が学ぶべき内容でした。

 私は三重県の椿大神社で約11年滝行の禊をし、神道の勉強をしております。また同時にヨガの哲学や、最近では陰陽五行論を学び、本質や真理の探究をしておりますが、どの学問にも共通することは「今を生きる」です。(神道では中今といいます)

 本来の日本人は、「神々のいのちやご先祖様のいのちと繋がっている」「森羅万象と一体である」「自分の中の神様と繋がる」目に見えないけれども、脈々と繋がるいのちを受け継いで生きていることを、感じ取ることができ、大切にしてきた民族でしたが、西洋からの文化が入り、その大切なことが置き去りにされています。一人一人が「今を生きる」。目の前の一瞬を大切にすることで、心が平和に穏やかになり、世界の平和に繋がるのではないかと、講演を聞きながら思いました。
生きていれば、日々心の中から異心(ことごころ)の不安・不信、不足・不満、また罪穢れが生じます。だからこそ毎日大祓詞で異心を祓い、清らかな自分、純粋な意識になることが大切です。神道の本質「神道は祓えに始まり祓え終わる」という言葉が、漸く腹に落ちました。
小野先生のお話を拝聴し、まだまだ表面的に物事を捉えていたこと、大切なことを忘れていたと気づかせていただく時間となりました。原点回帰としてより深く神道を学び、まずは大祓詞を毎日奏上することを実践していきます。
 懇親会では、小野善一郎先生や防人と歩む会 葛城会長、ご参加の皆様から良きエネルギーをいただきました。ありがとうございます。また参加させていただきます。

山本道代

 【橘貞雄のフォーラムリポート

 今回は神道研究家であり現在渋川八幡宮の宮司でいらっしゃる小野善一郎先生をお迎えして、「時代の大転換点」という演題でお話しいただきました。一通りの挨拶が済むと、先生が先導し全員で大祓詞(おおはらえのことば)を奏上しました。会場は次第に小野節に包まれ、時折先生に神様が降りてきて《魂の叫び》となります。山ア闇斎に繋がる崎門学(きもんがく)を継ぐ一人として、この混迷の現代において「古くから日本人の心を正してきた大祓詞を奏上することで異心(ことごころ)が祓われ【カミ】と先祖の命と一体になることによって、私たち日本人はこの混迷の世界を必ず乗り越えていける」ということを熱く語られました。(初めて聞いた方は、先生のほとばしる情熱をどう受け止めたでしょうか。)

(1)ご講演前の葛城会長ご挨拶
・葛城会長が解説を担当した「[復刻版] 初等科国語[低学年版]」から戦前の「軍隊の演習」の話を紹介され ました。演習に軍人が民泊するなど地域全体で演習に係わる光景が目に映るような話でした。@演習地に向かう軍人たちへのお茶の差入れをする婦人会の面々 A遠巻き演習を見学する住民たち B演習を御叡覧する天皇陛下に恐縮し、習って上着や襟巻を外す人々(心持ち) C民泊で鉄砲などを見せてもらい上気する少年や靴下を乾かすのを手伝う少女の情景 … 

B/4
・葛城会長の話で、戦前は天皇陛下、軍隊・軍人さんそして国民の三者がごく自然に繋がっていたことを知ることができました。当時を現代と比較するなら、確かに生活や食べ物は粗末だったかもしれません。いろりを囲んだ戦前の村々での暮らしは、「現代の日本」が失った大切なものが何なのかを考えさせられる想いでした。

 ※葛城会長の話から想像するに戦前との比較で言うなら、現代の日本人に欠落しているのは「縦軸=時間 軸」感覚ではないかと思います。上に出てくる少年少女等は、多分神武天皇の話を知っていると思います。
 もちろん 天照大神やニニギノミコトも知っているし、「ヤマタノオロチ」は劇画タッチに話せたはずです。
楠木正成の「湊川の戦い」や「桜井の別れ」もおじいちゃんから聞いているかもしれません。つまり多くの日 本人は子供の時からごく自然に民族としての時間軸を会得していたと思われます。当然国家意識も醸成さ れていた。しかもその学び方が日本的で、西洋で言う宗教や哲学のように狂信的でも批判的でも論理的で もない。時間軸が身体にしみ込んでいるのだ。まさにDNA、背スジが通っていた。そんな国民だから、 庶民からなる日本の兵隊さんは強かったのだ。その強さは群を抜いたので、後にGHQは徹底的に歴史・伝 統・文化(皇室)破壊を推進したのだろう。

(2) 『小野善一郎先生ご講演』 のポイント
@先生は福島県出身で政治家を目指し政治家秘書となり連日激務をこなすが、33才の時に議員事務所で倒れ2年間の闘病生活を経験。22才当時から神道は勉強しており、縁あって崎門学正統派の近藤啓吾先生に出会い、すぐさま近藤先生のお隣に転居し、毎晩教えを乞うという熱心ぶり。
A近藤先生は日本精神の原点は大祓詞(おおはらえのことば)に凝縮しているという教え。そこには雨の岩戸あり天孫降臨がある。そして天照大神は「高天原」を地上に再現するのが望み。しかも支配ではなく“治らす(しらす)=協議し合意を得ながら進める”方法で治めるよう要請。
B小野先生は近藤先生のいう「大祓詞」を広く伝えることを自分の使命と考えその講義・講演に注力。令和元年度は年間1000回実施したとのこと。(神職として、個々の祝詞もカウントと想像)
C教えのポイントは、西洋的思想から離れて、古来日本の心を取り戻すこと。
A.西洋は二元論の世界
・一信教の神は全てを創った(大地・空、昼・夜、人間、動物、植物、自然まで)
・神がいて宇宙が動き出す→「はじめ」があるのだから、必ず「おわり」が来る。(終末思想)
・社会は支配者と被支配者で構成→王は神から支配の神託を受け(王権神授説)意のままに支配(奴隷は合法)
B.日本は一体の世界観(多神教というのは西洋的分け方で当たらない)
・天地(あめつち)は元々あった。畏きものを「迦微=かみ」と言い、【カミ】さえも自然のなかで生まれた。(≠GOD) 自分たちを産み育んでくれたものを【カミ】とした→@恵みの自然とエネルギーの太陽
A命をつないでくれたご先祖様とご両親 B稲作を指導し水田造成事業をリードし、君民一体で繁栄につなげてきた皇統への想い(共感と尊敬の感情)
・「はじめ」がないのだから「おわり」もない。
・社会は共同体志向=各自が自らの役割を大切にして、全体に貢献(差別のない役割社会)
D日本古来の考え方 
・西洋はすべて自己との対象として物事をとらえる→分析し、弱点を探し、どのように対峙するかを決める
→唯物史観へ
・日本は形あるもの・無い物全てについて自分の心に取り込んで、一体として認識する

C/4
(野球の王選手はピッチャーを敵として対象物としてみるのではなく、自分の中に取り込んでしまった時 に恐怖心が消え、自我が薄らぎ無私の状態になると、自ずからホームランに繋がるとのこと。) 
Eこれからの世界
・小野先生は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が西洋の近代思想の行き詰まりを指摘したように、現代は時代の大転換点を迎えていると説く。私たちの向かうべきベクトルは西洋合理主義ではなく、「自我」にか
くれた「いのち」を見つけ出し、その命と一体になって生きることが求められていると。この命こそが天照大神から延々自分の祖先・父母に繋がる命に他ならないことを一人一人が自覚して時代を切り開く時であると強調されました。

 ※今回の「大祓詞」の講義の中で、文言について明治になって修正されたところが2箇所あると興味深かい指摘がありました。1つ目は中盤の「天つ罪 國つ罪」で、罪の内容部分を省略されたとの事です。もう一つは、最終部分の「罪という罪は在らじと 祓え給え 清め給え」が「〜祓え申す 清め申す」であったとの事です。
 まず、「天つ罪 國つ罪」を考察するに「天つ罪」は農業妨害の事を言います。稲作という恵みに対してスサノウが高天原で犯した罪からも分かるように、水田の維持管理について事細かに規定しているのが興味深いです。正に稲作が国家繁栄の基本だったことが窺い知れます。これに対し「國つ罪」については今回初めて知ったのですが、現代で言う傷害罪や死体損壊罪もあるのですが、近親相姦のタブーについて唱えられていたとのことです。
 近親相姦は世界各地で見られた現象です。明らかにそれによる奇形の土偶は世界中から発掘されており、人類史の初期において克服しなければならない極めて重要な問題でした。確か、旧約聖書にも記載があったはずです。 明治期に西洋諸国に対しカッコ悪いので大祓詞のこの部分をカットしたのでしょう。日本の場合古事記では「イザナギが亡くなったイザナミを取り返しに行き、その醜い姿を目撃し黄泉の国から逃げ帰ってきて《黄泉かえる=蘇る》、?筑紫の日向のアワギハラ?で禊をした際に、三貴子も生まれた」とあり、このくだりが近親相姦(兄弟婚)からの脱却を比喩的に示す箇所であろうと言われています。年代は不明ですが、縄文を代表する三内丸山遺跡が示すように500〜600人がクリ畑を擁し共同体として維持されていた事実から推測すると、縄文のどこかの時点で規範として成立したと考えられます。ただし、そのタブーとなった規範を江戸時代まで奏上していたというのは、チョッと驚きでした。多分、神道の思想が人間を特別視しなかったからではないかと思われます。人間も自然の一部であり、いつでも動物に戻ってしまう危険性を孕んでいることを忘れさせない民族の知恵だったのでしょう。

 次に「祓え給え 清め給え」ですが、小野先生の「対象を客観的に分析するのではなく、自分に取り込み一体となって知ることが神道の心」であるならば、“給え”より“申す”の方が正しいのではないかと感じました。

 小野先生は「大祓詞」を1人でも多くの日本人が奏上することで日本を取り戻す事ができると信じて邁進しており、極めて重要で素晴らしい役割を担っておられます。併せてあらゆる分野毎に日本の心を取り戻す役割をそれぞれが発揮してシンクロさせていかなくてはいけない時代であると強く感じた次第です。

防人と歩む会 理事 橘貞雄


令和2年8月28日〜30日 葛城奈海と行く「熊野飛鳥むすびの里・伊勢神宮研修」

 「海幸山幸の詩」熊野飛鳥むすびの里の動画を見て以来、いつかここに行ってみたいと思っていました。
防人と歩む会の研修旅行の案内と、支給された10万円。すぐに申し込みました。
会員でなかった私が入会をし、なぜか今この活動報告を書いています()
 
 男性7名女性3名の計10名の快適で楽しい旅でした。
 1日目 東京駅「銀の鈴」前に集合。新幹線のぞみで名古屋まで行き、近鉄線で鳥羽駅下車。レンタカー2台で移動。
 熊野速玉大社と神倉神社を見学しました。熊野速玉大社は熊野三山のひとつであり、イザナキノミコトとイザナミノミコトを主祭神としてお祀りしています。神倉神社は摂社であり、自然石を積み重ねた五百段余りの急な石段を登りつめると、御神体の巨岩コトビキ岩があります。杖をついて登った頂上からの眺めは素晴らしかった!下りはちょっと怖かったけど。
 むすびの里に到着。露天風呂に入った後は、山の幸に舌鼓を打ち、荒谷先生を囲んで楽しい宴会でした。
 
 2日目 大又川の清流で葛城会長と男性は禊を体験、女性2人は見学をしました。太陽がまぶしく川を照らし、清々しい空間の中、厳かで神聖なものを感じました。朝食後、図書室で荒谷先生のすばらしい講義を受けました。
 むすびの里を立ち、世界遺産となっている花の窟神社を参拝。日本書紀に登場する日本最古の神社で、イザナミノミコトが葬られたといわれる御陵となっています。高さ45mの巨岩が御神体で社殿がありません。
 鳥羽の宿、戸田屋に到着です。各部屋に古事記の本があったのにはびっくりしました。伊勢志摩サミットの年に、三重県知事が伊勢志摩鳥羽の宿泊施設に置くようにしたそうです。古事記は竹田研究会からのもので、英語訳も記されていました。嬉しい限りです。
 
 3日目 伊勢神宮の外宮と内宮の間に猿田彦神社を入れ、3か所を参拝して帰路に着きました。
 
 荒谷先生は、自衛隊に入隊した動機、陸海空設立の経緯、世界情勢、コロナ騒動まで幅広くお話されました。
 日本文化や伝統の破壊が進む中、自分たちの文化や様式を変えないこと。先祖に思いを馳せ、自分自身が日本の文化を実現して生きる。有効性を問わず、正しいと思ったら行動する。先生は休耕田をなくし、田んぼの景色を戻す。日本文化の神髄を体感する場むすびの里で、農業をすることが、国を守り世界を変えると言っています。
 古事記を勉強しているので、先生の言葉はとてもすんなり心に入ってきました。
 9月のフォーラムの講師小野善一郎先生は、私の古事記の勉強会の先生なのでとても楽しみにしています。
 
 今回この旅を企画運営された会長と事務局の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
大変お世話になりありがとうございました。
この旅でお会いできた方々との縁を大切にしていこうと思っています。
 これからもどうぞ宜しくお願い致します。
 

猪野知子

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令和2年7月25日 ムカイダイス氏

防人と歩む会例会(7月25日)に参加して
 私はムカイダイスさんのお話を聞きたくて例会に参加をさせていただきました。私がウィグル問題に関心を持つようになったのは、昨年父に誘われて日本ウィグル協会の講演会に参加したのがきっかけでした。その後何度か同協会の集会に参加をさせていただきましたが、ここしばらくは武漢ウィルスの影響で参加ができない状況が続いておりました。当日の例会で日本ウィグル協会の皆さんのお顔をみることができてうれしく思いました。
 ムカイダイスさんのお話は、東トルキスタンの歴史、旧日本帝国陸軍が極秘で推進していた「防共回廊」、ウィグル自治区の強制収容所の実態、イスラムの世界など多岐に渡るものでした。強制収容所のお話は、これまで私が読んだ本や日本ウィグル協会の講演会で聞いた話と重なるものでしたが、「親を知らない孤児」の話や「ウィグル人はみんなが誰かを失っている」というムカイダイスさんの言葉には改めて胸が痛みました。1930年代以降、何回か東トルキスタン共和国が建国されるは潰され、1955年に中国の新疆ウィグル自治区となったことも知りました。国家があるということを当たり前のことと考えてはならないのだと感じます。「防共回廊」の話は少し難しく私には直ちには理解できませんでしたが、著者の関岡さんの本を購入したのでこれから読んでみたいと思います。ムカイダイスさんはとても優しく笑顔が素敵な方ですっかりファンになってしまいました。懇親会では私にも声をかけて下さりウィグルの詩の話をしてくれました。私がこれまで出会ったウィグルの方は皆さんとても優しい方ばかりでした。本当につらい思いをされている方たちだからこそ本当に人に優しくなれるのかもしれません。
 懇親会では中国を批判する意見が多くの方から出されていましたが、私自身この場で批判ばかり(悪口)するのはどうかと思いました。せっかくウィグルの方がたくさん来られているのですからもっとウィグルの方と交流を深める場にしてはどうかと思いました。ウィグルの方と交流できる場だと思ったのでその点が少し残念でした。皆で東トルキスタンの国歌を歌ってみるとか、どんな小さなことでもよいのでウィグル人のためにできることを1つ考えてそれぞれが実行し、次回の例会で報告しようとかいろいろなことができたのではないでしょうか。
 現在私は高校で「高校生の私がウィグル人の思いを伝える意味を問う」というテーマで学校の課題研究に取り組んでいます。今月末に全校生徒の前で発表会があります。今年は武漢ウイルスの影響で人数が縮小されることになってしまいましたが、この発表を通して一人でも多くの人にウィグル問題に興味を持って欲しいと思っています。
中野月絵

 

令和2年6月20日 自衛隊中央病院長 防衛技官 上部泰秀氏

 先日、防人と歩む会の例会にて自衛隊中央病院の上部院長の貴重なお話を聴講しました。

 今回のコロナ禍でダイヤモンドプリンセス号の災害派遣対応や、現在も感染者の受け入れなどを行っており、多大なる医療貢献をされておりますが
特にメディアなどを通じて拝見させていただた点では従事した隊員から感染者を出さない、そして院内感染者を出さないという実績があり本当に驚きでいました。

 何故こんなにも感染者を出さずに素晴らしい対応が出来るのだろうかと思っていた中で
今回、上部先生から実際のお話を伺うことが出来、自衛隊のイラク派遣での衛生改革や、東日本大震災時の災害派遣の教訓、日頃の定期的な訓練や演習の積み重ねだという事を深く知ることが出来てより感銘を受けました。

 自衛隊だからこその経験値や予測、高度な精神性など改めて自衛隊の素晴らしさを感じることが出来ました。

 私自身も昨年から予備自衛官 二等陸曹として任官し、医療関係の同期にはダイヤモンドプリンセス号への派遣依頼も来ており、より今回の話は自分事の様で大変勉強になりました。

 今後、私もいつ派遣されるかまだ未定ですが、少しでも日本の為にお役に立てるように
頑張りたいですし、併せてしっかりと自衛官としての誇りとプライドを持って訓練にも励みたいと思いました。

 まだまだコロナも感染者がいる中で本当に医療従事者の皆さんには本当に頭が下がります。
今回のお話を聴講した上で日頃の意識の積み重ねも本当に重要なので私も今できる最大限の注意を払って日々の生活を過ごしていきたいと思いました。
大変勉強になる貴重なお話、有難う御座いました。

嶋田早貴

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